崩れない石積みとは? –風土を育む土木技術 石積み・石垣編 第1回–

愛媛県の石垣集落から

ここは愛媛県愛南町外泊(そとどまり)集落。伝統的な石垣集落の景観がここでは今もなお残されています。
瀬戸内海へと続く四国西海岸は、リアス式海岸が延々と続き、地球の悠久の営みがつくり上げてきた、急峻かつ複雑なこの地形ゆえに、山と海に枯渇することのない恵みがもたらされ、この地域の豊かないのちの営みが保たれ続けてきました。
世界最大級の大断層帯である中央構造線の盛んな断層運動によって形成された変化に富む地形地質は、年月をかけて木々と土壌を養い、清らかな水を涵養し、さらには豊かな海の生態系を養い続けてきたのでしょう。
億千万年の営みがつくり上げたこの風土環境の源を失えば、千年万年の時間をかけても、元の豊かさを取り戻すことは決してできません。だからこそ自然地形の改変は、一時だけの利害で安易に行うべきことではなく、豊かさを生み出す自然の営みを損なわないための、文明の節度や暮らしにおける配慮が不可欠です。時を超えて自然が地形を刻み、豊かな生態系と地表の安定が得られて初めて、陸と海の生産性が高まり、気候風土も安定するだけでなく、人を含むさまざまな生き物たちが共生できる心地よい環境が育つからなのです。

宇和島市の美しい段畑。瀬戸内海沿岸ではこうした石積みの風景がいまもたくさん見られる。撮影/高田宏臣(以下すべて)

海に至るまで平らな土地がほとんど存在しない、急峻な傾斜地の暮らしにおいて、その地における生業の中で、より安全で暮らしやすいよう、石積みの段畑に見られるような、地形の改変がなされてきました。その結果、それぞれの地域特有の風景が生まれたのです。ここ愛媛県西部海岸沿いから瀬戸内海にかけては特に、石積みの風景が長い年月の積み重ねの中で風土に溶け込んできたようです。
こうした人工地形を恒久的に安定させるためには、自然と一体化してゆくように仕向ける、造作のコツと視点が必要になります。この石垣においては、土圧となって崩れようとする地形を石の重量で力任せに支えようとするのではなく、石の積み方や地形のつくり方の工夫によって、そもそも土圧が発生せずにおのずと地形が安定するように仕向けるところに、土地とともに生きてきた先人の無限の智恵が隠されていました。

2018年の西日本豪雨ので発生した土砂崩壊後の様子。トンネル出口の両脇で発生(愛媛県宇和島市吉田町)。

2018年7月の西日本豪雨は、愛媛県においても甚大な土砂崩壊をもたらしました。その数は1000箇所近くに及ぶことが報告されています(参考:地盤工学会四国支部・土木学会四国支部合同調査団 2018/9/12報告会資料より)。この、災害調査報告書の常なのですが、今回もまた、被害発生事由を降雨特性や地形、地質分布を要因とすることに終始し、崩壊箇所の土中環境の健康具合や、大地の不安定化を招いている人為的な要因など、一顧だにされていませんでした。これが現代日本の学術災害調査の現状です。

自然界における地形の安定は、工学や力学的視点だけでは決して理解できることではありません。地形が安定してゆくプロセス、土壌の構造、菌類微生物植物の作用、土中の水と空気の多彩かつ繊細な流れとその意味についてなど、それこそ無限に絡み合って変化し続ける、自然界の営みに対する体感的な理解がどうしても必要になるのです。

愛媛県宇和島市、游子水荷浦の石垣。

愛媛県内で報告されているだけで1000箇所近くもの土砂崩壊があったにもかかわらず、地元農家の方に伺ったところ、伝統的な石垣で崩壊した箇所はなかったと言います。
伝統的な段畑などの石垣の多くは、緩やかに湾曲した谷地形であることが多いのですが、まったく崩壊しないのはなぜか。そこにどのような視点と智恵が隠されているのか、私たちはきちんと見直していかねばなりません。

景観10年、風景100年、風土1000年

いったい誰がどのような思いで、どれほどの月日を費やしてこの石垣を積み重ねてきたのだろうか? この地を訪ね、そしてこの石垣に触れる人は、土地の人の営みに想いを馳せることでしょう。
外泊集落で石垣が積まれ始めたのは江戸時代後期のことといわれますが、この土地環境がつくり出す豊かな海と山の恵みは、そのはるか昔から人々の暮らしを守り続けてきました。そしてその悠久の積み重ねの果てに、現在の風土環境があるということを忘れてはいけません。
自然豊かな土地だからこそ、人も心豊かに育つのでしょう。先人が子孫永代まで安全で美しい暮らしの環境を保とうと、喜びの中で汗した結果に、今の石垣の風景があるのではないでしょうか。

海から吹き上げる激しい風雨から暮らしを守ってきたのもこの石垣。

「景観10年、風景100年、風土1000年」という言葉があります。「景観」が、その地の自然と人との営みの100年の積み重ね中で「風景」となり、土地と人との1000年の関わり合いの中で、ゆっくりと育った土地がいつしか特有の「風土」となる。もはや人の暮らしも自然の営みの中に一体となって境目がなくなる。そこにこそ調和も平和も美しさも生まれ、身土不二の人の心の拠り所となるのでしょう。

伝統的な暮らし方が生み出す風景・風土は、自然の営みの中の自給的な暮らし方の上に築かれたものです。そこに、より豊かに、そしてより安全に、持続的に土地のいのちを保ち、共存しようとする、深い智恵と果てしない愛が刻み込まれています。1000年の積み重ねの風土こそ未来に伝えるべき宝であり、それをひとたび失ってしまえば、もはや決して再生されるものではありません。

これを単に「伝統的景観」などという名目で、現代の営みと切り離し、まるで時計の止まった展示室のように「保存」されることだけでは意味はありません。伝統とは、燃え尽きた灰として保存されるべきではなく、炎を絶やさずにその智慧を生かすことが、行き詰ったいまを見直し、未来への扉を開いてゆくことにつながるように思います。
私たちは、土地に刻み込まれた先人の営みの名残から、伝統的な人工造作が、自然環境そのものに絶妙に寄り添い、人の営みそのものを風土に溶け込ませながら、共存する豊かな環境をつくり上げてきたことを知り、現代では想像も及ばないようなプロセスを再び思い起こすことが、未来のために必要なことのように思います。

外泊集落、吉田トヨカさんの言葉が刻まれた石碑。

「石垣は 人のまことの つみかさね」。
外泊集落の古い民宿の女将、吉田トヨカさんの言葉がこの集落を訪ねる人を迎えます。誰がどのような思いで積んだのか…… その答えがこの言葉にあるのではないでしょうか。

故郷のため、子孫のため、そして自分たちを活かしてくれたこの大地を豊かに未来へとつなぐため、そんなまことの想いが喜びとなってコツコツと石を積み続ける原動力となったのでしょう。よく「昔は大変だった。この石垣は苦労の果ての汗と涙の産物」などと言われますが、汗と涙だけでは決して、これほどまでに人の心を打つほどの美しい風景は生まれないと思います。
故郷や家族、村の仲間たちや豊かな大地の恵みといった、たくさんの愛に心を満たして、喜びに包まれて、重労働の疲れすら感じぬまでに打ち込んで初めて、未来に対して不動の価値ある営みの証が生み出される。それこそが「人のまことの積み重ね」というべきものの本質と思います。

第2回以降、伝統的な石垣が環境と調和して安定する構造と、施工のプロセスについて、そしてそれを理解していた先人の素晴らしい智恵について、詳細にご紹介していきます。また愛媛県内で甚大な被害が集中した吉田町の土砂災害の特性と、斜面崩壊や土石流に至った箇所の環境状態についても、同様にお伝えしたいと思います。