いのちのゆりかご 「海岸湧水」
ここは江の島。
緩やかな円弧を描くような相模湾岸の渚ラインにあって、ひときわ突出して存立し続けてきたこの島は、島全体が1500万年前に形成された凝灰岩塊のひとかけらです。 ごつごつと入り組んだ磯浜は近海底にまでつながって、ごつごつとした入り組みの大きな複雑な海底地形を作り、そこは太古より豊かな海の、命の営みの場であり続けてきました。
海岸の岩場を歩くと、惚れ惚れするほど透明で美しい岩間の水たまりが点々と見られます。
水底がエメラルドグリーンの輝きを放つ、きらきらと水が光るような艶を感じる箇所はたいてい、岩の下から地下水の湧き出しがあります。
こうした海底からの湧き出しを、「海底湧水」といいます。
上部を森に覆われた、急峻な岩塊が海底まで続いているような海岸地形のもとでは特に、こうした海底湧水が岩間より無数に力強く湧き出します。湧水は通年温度変化も少ない上に、そこは無菌状態で清らかで、それが、海底のいのちの誕生を守る、いわば、海の生物にとっての「羊水」として、たくさんの稚魚を静かに育ててくれているのです。
海の生態系は、そんな見えない世界の営みに支えられて成り立っています。
つまり、海底の、岩間から水が湧き出す場所は、常に清潔で塵埃も溜まらず、魚介類海藻など、さまざまないのちの赤ちゃんにとっての格好の「ゆりかご」になるのです。
岩の間や下の湧き出しの当たる場所が、川も海も、いのちの生まれる場所、つまり「子宮」に当たる場所となるのです。そして、その清冽な湧水が自然の大いなる神秘ともいうべき「羊水」に当たるのです。
海を守ることは森を守り育てること
さて、円弧上の相模湾岸を西に走ると、太平洋に突出した岬のような小さな半島に至ります。真鶴半島です。半島全体が安山岩系の岩塊に覆われ、海岸は切り立ち、その上部を深い緑が覆うその光景は、豊かで安定した海の生態系の存在を感じさせられます。実際ここは古くから豊かな漁場として知られ、半島の付け根には2つの漁港を擁します。至るところで干物などを道端で売って生業の足しにするという、古き良き海辺の暮らしの名残が今も見られます。近海の海産資源の豊かさが、こうした地域の暮らしをつくってきました。
豊かな海の幸が持続的に保たれてきた理由は、海岸に迫る急峻な海岸地形と崖の上下の高低差、その上の森の豊かさといった風土環境にあると言ってもよいでしょう。
樹齢数百年ものクロマツ、タブノキ、シイノキ、クスノキ、そしてスギなどの巨木が点在する真鶴半島の森は、関東近辺でも大変貴重な海岸林です。半島の森の多くは、林野庁によって「魚つき保安林」に指定されています。
古来、漁労を生活の糧にしてきた地域では、海岸沿いの豊かな森の存在が豊かな近海の生態系を育んでいることを当然のごとく知っていて、岬の上部の海岸林や離島の森林に祠や神社を設け、鎮守の神様を勧請し、その力を借りて、杜の豊かさを守ろうとしてきた、そんな場所がたくさんあったのです。その名残が今、「魚つき保安林」という制度に繋がり、残されてきたのでしょう。
真鶴半島の森の奥にもこうした山の神を祀る祠が残ります。
海を守ることは山を守ること。そのことを当たり前のこととして理解し、永遠の恩恵をもたらしてくれる自然の恵みを絶やさぬよう、守ろうとしてきたかつての人の叡智。今こそ思い出したいものです。海の恵みを享受するため、山を守り、川を汚さぬ。すべての命のつながりに感謝し、畏敬の念をもって暮らしてゆく。そんな敬虔な生き方、暮らし方から、学ぶものは果てしなくあります。
山中のクスノキの大木です。幹回りの周径数mにもおよぶ巨木が点在する。これほどの木々が普通にみられる海岸林は、関東でも大変珍しくなりました。
この真鶴半島の森も、押し寄せる産業化や開発の波を受けてさまざまな変遷がありましたが、それでも今日までかろうじてこの森の力と役割は保たれてきました。
その大切な力と役割とは、たびたびお話ししてきたように、地下水を豊かに涵養し、近海底からサイフォンポンプのように清冽で浄化力の高い湧水を湧き出させて海の生態系を育てるという、地球のいのち健康のための大切な役割です。
森の木は、菌糸のネットワークを通して深部水脈から力強く水を吸い上げ、上部土中にも水分を引き上げるポンプのような役割をも果たします。水は土中を単に重力で下へ下へと一方的に移動しているだけでなく、土壌団粒や岩間、細かな菌糸のネットワークを介して、毛細管現象も相まって、実に多様な動きをしながら、常にしっとりと、水分を含んだ状態を保っているのです。だから、森が健康であれば湧水はめったに絶えることなく、それが海底に力強く湧き出してくるのです。
この仕組みを理解していただくため、海岸林と海岸段丘、海底を含めた断面図および、地下水の動きを図で表してみました。
崖上の健全な海岸林にしみ込んだ雨水は、土中の空隙や岩間に蓄えられて、ゆっくりと移動していきます。水の移動の過程では、海岸林の木々の根の毛細根とネットワークを形成している土中の菌糸によって、不純物や有機成分はろ過分解されて、無菌状態の清冽な水となって移動していきます。
水が重力にしたがって土中を移動するとき、空隙に停滞していた空気もまた、同時に押し出されます。新鮮な水と空気の流れが生じることで、土中の生物・微生物・菌類などの多彩な活動が促され、杜をさらに健康に豊かに育てていき、そしてそれが、大量の水を涵養する見えない森の力をさらに育てることにつながるのです。そして、岩盤を通して海底湧水となって湧き出す場所には、「ネ」あるいは「イワネ」などと呼ばれる海底の森が生まれます。こうしたところにはそれこそ無尽蔵に海藻も生育し、たくさんの稚魚やさまざまな生き物も湧き出すように生じます。海底で人知れず繰り広げられる、無数のいのちの誕生を守り、海底の森を保つのに欠かせないのが海底湧水であって、そうした岩の割れ目には相模湾においてもなお、今でもいたるところにサンゴ類も生育しているのです。湧水の元でしか成立しない、豊かな生態系があるのです。
比較的健全な状態が保たれている森の下には、エメラルドグリーンの輝きを放つ清らかな海水が満々と押し寄せています。
近海の岩場で、海底までつやつやと見通せる箇所はたいてい、海底湧水が滾々と湧き出して、水を清らかに保っているのです。
海の生態系を健全で豊かに保つためには、海の生きものたちのいのちのゆりかごとなる海底湧水が活発な状態で保たれることが必要不可欠です。
「森は海の恋人」という言葉は、有名になりました。が、山が健康でなければ海も健康でいられないという理由は、あまりに誤解されていて、海底湧水を守るという発想はそこには全く顧みられるまでに至っていないのが、残念ながら現状です。森が健康であれば森から栄養分に富んだ腐葉土や落ち葉、虫たちの死骸が流れてきて、海のプランクトンなどが増えて、それが魚のえさになる、という程度の理解が残念ながらまだ一般的な理解のように思いますが、森と海のつながりはそんな表面的なものではないのです。
環境全てが一体のものとして循環する自然の本質にかんがみて、「守るべきものは何か」それがきちんと理解されない限り、何をしても環境の荒廃に歯止めをかけることはできないのです。土の中の神秘、大地の血管たる水脈環境の大切さ、そうしたことを自然はさまざまなカタチで私たちに伝えてくれているように感じてしまいます。
太古から海と一体となったこの地の暮らしを守ってきた真鶴半島の森も、実は今、巨木が健康に息づく森がこれからも保つことができるか、それも今や、実際には瀬戸際にあることも分かります。
森の劣化は、林冠(森の最上部の枝葉の層)を占める高木の先端枯れや幹折れによる林冠の開口(ギャップ)にまずは現れ、そしてそのギャップを埋めることができる次世代の高木を担う後継木の不在、そして更なる周辺高木の衰退へと進むことで、森林の上下の階層構造の最高木層を失う形で始まります。
この真鶴半島の巨木の作る森も、こうして林冠の最高木層を保てなくなると、急速に森は荒廃して表土の乾燥となって、土中の浸透貯水機能を減じてしまうのです。
こうした眼に見える森の劣化は、実は土中環境の劣化の現れであることを知る必要があります。上部に駐車場や新設遊歩道、集客施設等のインパクトの大きな人工構造物がある場所など、上部の森の広範囲な開口と舗装等によって浸透できなくなってしまった箇所を発端に、下部の斜面林は目に見えて荒廃が進み、高木が衰退してヤブの状態になっていきます。
写真は上に大規模な総合施設を持つ、真鶴半島の景勝地、三ツ石周辺の斜面植生の荒廃と、岸壁の通気浸透不全に伴う崩落の様子です。
しっとりと呼吸して樹木の根を絡ませていた岩盤は本来、根と菌糸が絡んだ状態で安定して湧水や植物微生物を育みます。それがひとたび乾いてしまうと、岩の空隙や割れ目も毛細管現象が途切れて乾き、そして菌糸も根も枯れて後退します。そうなると、上部森林の衰退、水の浸透不良と海底湧水の減少、海岸の汚濁、へと直結していきます。
土中の環境の悪化と、森と海底との関係を示した断面図です。
崖の上から土を浸透してくる水の供給が途絶えると、森林喪失が起きます。土中の水と空気の停滞が生じると木々の根やネットワークを形成していた菌糸が枯れて後退します。菌糸によって捕捉されない土は固く締まり、さらに水と空気が浸透しない状態になるという悪循環に陥ります。
そうなると海底湧水の量は激減し、湧水が育んできた海底の森であるイソネは泥つまりを起こして、稚魚の成育環境を崩壊させていきます。海底湧水が止まってしまった岩場は、通称「磯焼け」などと言って、海藻も枯れるように消えていきます。
森の崩壊は、水の動きを介して海の生態系の崩壊へと直結するのです。
開発が悪いというのではありません。ただ、いのちを養う自然のシステムである、土の中の水と空気の流れを健康に保つことが不可欠であるという大前提が社会に共有さえできれば、こうした場所でのやむを得ない開発事業に際して、環境にインパクトを及ぼさないように打つための手立てはあるのですから。
まずはこの大切なことが共通認識となって環境を傷めない手立てが普通になされる社会へとシフトしてゆくことを望みます。
太平洋岸の宝石の一粒のように残された豊かな真鶴半島の森と海。まだ、呼吸が絶えないうちに、大切なもの、守るべきものをきちんと伝え、そうしたものが当たり前に守られる。そんな未来へと進化してゆくことを夢見て、こうした報告をこれからたくさん発信していこうと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。