夏の暑さを和らげる、樹木の力 第2回 ~樹木の蒸散と土中環境のかかわりから

さて、樹木の微気候緩和効果について第1回では、砺波平野の屋敷林の伝統的な暮らし方を参考に、夏は涼しく冬は暖かく、強風を和らげてそよ風を起こしてくれる、木々の働きについてお話ししてきました。

第2回は、木々の夏の気温緩和などの効果について、大気冷却のプロセス、風速の緩和、土地の状態、土壌環境、木々の種類と効果の違いなど、今回と第3回を通して、詳しくお話ししていきたいと思います。

上の写真は、砺波平野の屋敷林に囲まれた民家の敷地です。
この砺波平野散居村の住民アンケートで、ここでの暮らしがよいと答えた人が8割以上にも上ったことは、第1回で示しましたが、「どんなに暑い夏でもカイニョの中の家は涼しい」という理由が多くを占めていました。
実際に敷地に入ると、周辺が広々とした平坦な田んぼであることを忘れさせるほど、森の中の落ち着いた住まいを感じさせてくれます。
そして、微気候や強風の緩和の役割だけでなく、この屋敷林の木々の根が、水はけのよい健康な土地を保ち、扇状地の洪水の時にも敷地をしっかりと保つ、防災上大きな役割を果たしてきたことも忘れてはなりません。
そのプロセスについてもう少し、解説を試みたいと思います。

樹木による夏の大気冷却効果。©︎高田造園設計事務所

上図に示した通り、樹木による夏の大気冷却効果は、主に3つのプロセスが考えられます。

①直射日光の遮断
人の活動空間の上空を広く覆う木々の枝葉は、単に日陰をもたらすだけでなく、体感温度を極端に高める原因となる、周辺からの輻射熱や放射熱をも大きく減らす役割を果たしてくれています。この時、上空で枝葉を大きく広げてくれる、高木となる樹種の選択が大切です。
②風の誘導(涼風をつくる)
涼風を起こし、それを周囲に誘導する効果があげられます
まず、共生する土中の菌糸が集中する健康な樹木の根元は、土中から盛んに水分を吸い上げることで、常にしっとりと通気され、土中の冷気がひんやりと地表に放出されます。
この冷気と日向の温度差によってそよ風が生じ、樹木の根元に放出された冷気を引き上げて、周辺環境に涼風をもたらすのです。
つまり、健康な高木群の存在は、その敷地内だけでなく、周辺地域にまでその恩恵を及ぼしていることを忘れてはならないのです。
③蒸散による気化熱の放出
木々にしかできない最も大切なこと。それは蒸散による気化熱の放出です。
最初に断っておきますが、これは最近よくある人工的なミスト効果などとは比較にならない、複合的かつ重要な働きがあるのです。樹木は、暑い夏ほど盛んに蒸散し、自らの体温の恒常性を保とうとするのは、われわれ動物と同じです。

土中と地上で、水と空気の流れをつくる木々の働き。

気化熱を放出する際、常に日射にさらされる高木は、夏の日中、最大で20気圧におよぶ高い圧力で土中から水を吸い上げ、大量の水分を土中から大気中へ放散させます。
この後に説明しますが、蒸散の力は樹種によって大きく異なるため、町中の微気候緩和や環境改善のためには、樹種の選択もとても大切になります。
植物の蒸散や呼吸する大地から湧き出す水蒸気が、きれいな雲を作り出し、雨となって再び大地に恵みをもたらすのですが、この膨大な量の水分を高圧で吸い上げ、そして常に放散させ続けるためには、土壌が深くまで多孔質構造(団粒構造)を保ち、しっとりした岩盤の亀裂に張り巡らされた土中菌糸が、土中深くの水脈と連動してつながり、毛細管現象を起こさねばなりません。
木々による冷却効果、気候調整作用が十分に機能するためには、単に木や森があればよいというものではなく、土壌を含めた環境全体の豊かさや健康具合が大きくかかわってくるということなのです。

蒸散と土中の環境について

樹木の蒸散は、樹種、樹木の健康状態、土壌環境の健康状態によって大きく異なります。
木々と土が健康であれば、昔のように夕方には涼しい風が流れ、夜の間に大地が降りてきた空気を吸い込む際に、表土周辺で大気が冷やされて飽和水蒸気となった水分が夜露となり、草や木々の枝葉を濡らしていきます。そして朝には、土中で浄化された冷涼な空気が朝靄とともに沸き立ち、夏の一日が始まる。そんな光景も、多くの人にとって、今は昔の記憶となりました。ほんの数十年前まで、こうした健康な大地の営みの中で、子どもたちはキラキラと輝く夏の思い出を刻んでいたのです。

心地よい風の抜ける森。photo/高田宏臣 以下同

よく山に入られる方はお分かりになるかと思いますが、緑の中であっても、冷涼な空気の流れる心地よい場所と、空気がよどんでじめじめと不快な場所もあります。
健康な森に流れる木々と土壌環境と蒸散の関係について、説明していきます。樹木群が根から水を吸い上げる際、土壌が構造的に健康で多孔質であれば、毛細管現象によって、水脈と連動する土中水を集めて吸い上げます。

樹木は健康な大地とつながって初めて健康を保ち、蒸散などの生命活動によって人間などのほかの動植物が暮らしやすい温和な気候を作ってくれているのです。
こうした森では、風は常に涼しく心地よく、汗も引き、清らかな空気に力満ち溢れます。高木、亜高木、中木、低木と、階層ごとに枝葉の空間を分け合い、なおかつ見通しが良く、風の通りを遮断しません。木々は階層ごとに盛んに蒸散し、森全体に夏の冷気が流れ、そんな健康な森に棲息する動植物や微生物の種類も、非常に多様化していきます。

ヤブ状態となった森林。

森林が劣化すると、まずは高木から衰退枯死をはじめ、上下の空間を分け合っていた森の階層構造が崩壊して空気の通らないヤブ状態となります。動植物微生物も多様性を失い、草木は低い位置で激しく競合して、空気の通りをますますつぶしていきます。
よく里山の荒廃の原因は、人が管理しなくなったからと言われますが、そうではなく、環境の状態は土中環境の健康具合に大きく影響されていることが、現地を見ていけばわかってきます。

土壌の多孔質構造が壊れて硬化してしまうと、根の周りの土と土中深部との毛細管現象が働かず、水の供給が途絶えて十分な蒸散を行うことができません。そうなると森の中でも、汗が引くほどの涼しさを感じないということが、残念ながら最近は普通に起きるようになってしまいました。
こうした箇所の多くは、表土も硬化して乾燥と過湿を繰り返し、土中の冷気は表土まで上がってこなくなります。つまり、気候・微気候の緩和効果は、木々や森の状態によって大きく異なるもので、単に緑や土があればよいというものではないのです。

多種の植物が共存する健康で美しい森林では、木々の根は高木から低木、幼苗まで、土中においても深く広く空間を分け合っています。水も空気もよく通る多孔質構造(団粒構造)の土壌が深い位置にまで達し、雨は土中にしっかりと浸み込み、この多孔質空間に膨大な量が蓄えられます。それが重力によって下に動いて水脈ラインを形成すると同時に、木々が吸い上げに伴い、土中の毛細管現象によって水を上方へ引き上げる働きも生じます。健康な土中に生じる水と空気の多彩な動きが、土中の菌類微生物にも多様な環境を与え、相乗的かつ自律的に環境全体を保ち、いのちあるものを養うポテンシャルが高まるのです。こうした土中環境下では木々が蒸散すればするほど、下方から清らかな水分が土中の冷気とともに絶え間なく供給され、それが大気の温度をも効果的に緩和してゆくのです。

一方、何らかの原因で土中の水と空気の動きに停滞が生じると、土壌の構造を保つ菌糸も消えて、土壌の圧密、乾燥、土中の滞水が起こります。そうなると、水は土中にしみ込まずに表層の浅い部分を流れるようになり、深部の水脈が分断されていきます。樹木根系は浅い位置での競合が始まり、高木の衰退、森林の階層構造の崩壊、多様性の喪失、そして風も通らないヤブの状態となります。
もはや木々があっても大地からの冷気の湧き出しはなく、緑があっても都会同様に熱気を冷却できない環境になってしまいます。荒れた環境、呼吸しない環境は、もはやそのままでは気候を快適にする力は果たせないのです。

かつての平野における家屋と屋敷林の配置と水脈環境のイメージ断面図。

第1回でお話しした通り、本来豊かな森になりにくい沖積低地のような平地でも、微高地の杜があれば鎮守の杜として大切に祀り、家屋においては外周に溝を掘り、土を盛って土中の水と空気の円滑な動きを促すことで、木々が健康に生育しやすい環境を当たり前のように整えてきたのでした。
上図のようなかつての暮らしの造作は、単に自分の家を安全で快適にするばかりでなく、周辺全体にとっての環境改善装置にもなるのです。かつてはそんな連鎖の中で、豊かな環境とそこで育まれる温かな心と郷愁を育んできたと言えるでしょう。

かつては沖積平野の田畑に当たり前のように点在していた、民家と屋敷林。

住まいの環境を守る屋敷林の樹種は主に、その地域の森の林冠(森の最上層の枝葉の部分)を占める高木となる樹種が用いられてきました。これからご説明しますが、微気候を含む土地の環境改善のためには、どうしても高木樹種でなければならない理由があるのです。

健康な森の階層構造を観察すると、点在する高木が林冠を覆って、日照や風を緩和していることがわかります。高木の下には、気温や湿度変化も穏やかで、恒常性の高い快適な空間に、高木の子ども(幼木)や若木のほか、実に多種多様な樹木が、枝葉のスペースを分け合いながら、見通しの良い美しい風景と、空気の流れを保っているのです。木々にはそれぞれいのちの連鎖と循環の中での役割があって存在しますが、環境を改善する力は樹種によって大きな違いがあります。

森の階層構造とそれぞれの力。

林冠に枝葉を広げて、厳しい風雨や強烈な日差しをまともに受けながらなお、力強く環境を守る高木樹種と、それらによって守られた林内空間で安穏と生きる樹種とは、環境を改善してゆく力も蒸散量もまったく違うのです。例えば、コナラ、クヌギ、ケヤキ、サクラ、シデ、カシ、シイ、杉、モミなどは高木となり、林冠に到達しますが、アオダモ、トネリコ、モミジ、ヤマボウシなどは本来、高木の下の森の中に生きる木であって、これらの樹種は、高木樹種と比べて、環境を改善する力は、実際にははるかに弱いのです。

実際かつての日本では、屋敷林、学校、公園などの外周林や古道沿いの緑地空間では当然のごとく、たくましい高木樹種が用いられてきたのです。

宮城県仙台市内幹線道路沿いの有名なケヤキ並木。

「杜の都」と呼ばれる仙台市中心部、幹線道路の上空に枝葉を広げるケヤキ並木の様子です。夏の時期、道路を覆って日射を緩和してくれる木々の存在に、通る人も車も誰もがほっとするはずです。ところが今、日本中の都会でも田舎でも、「落ち葉掃除が大変だ」とか、「管理のコストや倒木の危険」といった理由で、大きくなった街の高木は次々と伐られる時代になりました。

同市内、砂漠のような灼熱地獄。高木を育てない最近の町の様子。

現代の日本、町中の鎮守の杜ですら、落ち葉や枝葉の越境の苦情で伐られる始末。こんな現代人の独りよがりの意識の末に、町はますます不快で殺風景で愛されない風景へと変貌していきます。

大体、落ち葉や枝葉の越境で文句を言う、了見の狭い人など、数十年前はほとんどいなかったことでしょう。かつては道路にはみ出す大きな木の木陰をありがたいと感じ、その下にお地蔵さんや石仏を安置したりして、樹木のある環境が大切に守られてきたのです。そんな日本人の尊い感性を、私たちはいつの間にか失ってしまったようです。

分け隔てなくみんなに恩恵をもたらしてくれる木々を邪魔者扱いする先に、愛されるふるさとも心地よい環境も決して保てないことでしょう。せせこましく不自由な環境になればなるほど、人の心も荒んでゆくことは、日本が誇るべき在野の生態学の先駆者、南方熊楠が100年も前に警告していることです。日本の町も気候も、ここまでひどい状態になってしまうとは、先人たちは想像も及ばなかったことでしょう。

東京都板橋区、N動物病院の、緑陰の駐車場。

第2回の最後に、東京都板橋区の密集住宅地一角にある、緑陰の駐車場を紹介したいと思います。
5台分の駐車スペース全体を木陰にする木々は、8年ほど前に植樹しました。植栽面積はわずかなのですが、上空にはコナラなどの落葉樹の高木樹種が、枝葉を大きく広げて木陰をつくっています。夏の間、ここは炎天下でも常に涼しく、通る人がここで立ち止まってゆく。そんな光景が日常となりました。それはまるで砂漠の中のオアシスを思わせます。
 木々のスペースと人のスペースとを共存させることは十分に可能です。かつては普通に街の気候環境の改善のために木々を活かして、人の生活環境を美しく、豊かに保ってきたのです。
スペースの狭さは、木を植えられない理由になりません。上下の空間を木々と人とが分かち合い、木々に守られている実感と感謝をもって日々を過ごすことで、どれほど人の心はいやされることでしょう。もはや限界と言えるほどに生活環境を悪化させてしまった現代だからこそ、木々と共存する智慧と、多少の不便があってもほかの命を労り、ともに生きようとする温かな心を、社会全体が取り戻していければと思います。