沖縄県本部町、フクギの屋敷林で有名な備瀬(びせ)集落です。ここでは密集する民家敷地の屋敷林が、集落の中を縦横に抜ける狭い通りに接しているため、並木のようにも見えます。
そのため近年、「備瀬のフクギ並木」と称して、伝統的な沖縄の集落環境が残る、どこか懐かしい散策道として、観光客を集めています。通りはすべて、木々のトンネルの道となり、その日常離れした光景は訪れる人の心を躍らせるようです。
沖縄に限らず、かつては日本中どこでも、ちょっとした田舎にいけば、このような木々のトンネルの小道がいたるところにあったなと、この地に踏み入るとタイムスリップしたように、そんなことを思い出します。そこで元気に駆け回る子どもの声も姿も、昔を知る世代にとって、脳裏にしまい込まれていた記憶がよみがえるようです。
フクギに囲まれた伝統家屋は、琉球瓦と呼ばれる独特の赤瓦と木造の住まいです。それが何世代にもわたって住み継がれてきたのです。このような住まいの在り方にも、環境に適応しながら永続的な暮らしと快適さを保っていた、かつての智慧が垣間見られます。
屋外は、主に南側など一方向に広く開放空間を設け、作業スペースとします。そうすると、屋根は日中の直射を受けますが、この家屋の素材とつくりによって、家屋の中もひんやりと過ごしやすく保たれるのです。
その秘密のひとつに、この伝統的な赤瓦屋根の役割があります。
琉球時代から続く沖縄独特の赤瓦屋根も、その土地の歴史を経て風土の象徴にまでなりましたが、その特徴的な建築様式や素材には必ず、環境上の意味合いがあります。
上図は、伝統的な素焼きの赤瓦屋根と、戦後普及したセメント瓦屋根の、屋根裏における一日の温度変化の記録です。
赤線が、赤瓦屋根の伝統家屋である中村家住宅(国指定重要文化財)で、黄緑色の線がセメント瓦屋根の住宅のものです。
セメント瓦の屋根裏が、実際の外気温(青線)より最大15℃も高く熱を蓄えてしまうのに対し、赤瓦屋根の場合、温度上昇はほとんど見られず、屋根裏なお、外気温の変化をより穏やかに緩和しているという、驚くほどの差異が見られました。
沖縄特有の赤土を焼成した多孔質の瓦屋根は、熱を蓄えることなく、家屋の快適さを保つばかりでなく、表面温度の上昇も少ないため、周辺環境に悪影響を及ぼしません。
こうした、内にも外にも優しい屋根素材は、瓦だけでなく、草葺き、板葺き、樹皮葺きといった、その土地の伝統的な自然の素材以外にありません。現代のスレード葺きや鋼板屋根など、新建材と呼ばれる安易な人工素材では、決してこの性能も持続性も得られません。
屋根の材料ひとつでも、環境に溶け込み、かつゴミも発生させず大地に還るものを選び、その土地の気候条件に完全に適応するよう永続的な快適さをつくってきたのが、かつての住まいなのです。
屋根は防水できればよくて、温度上昇は断熱材をはさめばいい、などという現代見られる安易な発想では、環境への適応などできないどころか、決して美しい風土を残せるものではありません。いわば、自然環境を悪化させながら、ゴミを量産するのが現代住宅であります。
自然の摂理に目を向けず、周囲の環境へ及ぼす影響も考慮せず、温度も湿度も、思いのままに得ようとする現代人の際限のない欲求が、生活環境を貧しく暮らしにくくしていることに早く気づかなければならないでしょう。
赤瓦葺き木造の開放的な住まい、琉球石灰岩の石垣、通りから家屋正面の直線を遮るヒンプンと呼ばれる築地壁、そして周囲を囲むフクギの屋敷林。これがこの地の風土と幾世代もの暮らしを通して集約されてきた住まいのカタチだったと言えるでしょう。
各地域での伝統的な家屋敷地の在り方は、本来その土地の気候風土の中でおのずと最善の形へと整ってゆくものです。それが風土の美しさであり、心のよりどころとなる故郷の風景になります。その形は気候風土に従い、自然環境の営みに対してむしろ積極的に折り合いをつけようとしてきた、人間の智慧の結晶です。これこそがまぎれもない、持続的な環境共生の在り方と言えるでしょう。
上図はかつての伝統的な住環境と屋敷林の関係です。屋敷林の冷気が家屋を快適に保ち、家屋南側の開放空間との温度差で常にそよ風が流れ、湿気がこもって抜けないということも、かつてはほとんどなかったのです。
この屋敷林(あるいは裏山)の土中環境が荒廃して空気と水の流れが滞ると、今の古民家の多くがそうであるようにたちまち湿気のこもる、暮らしにくい住まいへと変貌してしまうのです。
かつて住まいの快適性は環境と一体で整えられ、気候を調節してくれる存在である木々の力を生かすことは、そこでは不可欠だったのです。
単に、気候調整だけでなく、健康な木々は土地を浄化し、清冽な水を呼び込み、健康で生産性の高い大地を育みます。この、自然環境の総合的な働きを、人間の安易な都合で機能分類して代替方法を得ようとすること自体、現代文明の大きな過ちであり、その末には自然との調和も持続も、ますます私たちから遠ざかってしまうことを知る必要があるでしょう。
木々もない、このような住宅地で育つ子どもたちが、果たしてどこで自然の神秘や本当のいのちの営みを感じ、学ぶことができるのでしょうか。
水も浸透せず、温度湿度を緩和するものが何もないこうした環境は、砂漠と一緒で、実際の外気温や湿度以上に、激しい温度湿度の変化にさらされます。人間を含む生き物にとって住みにくい環境を、私たちの暮らしがますます増やしているのが現状なのでしょう。
上図は、よくある最近の現代住宅における熱環境模式図です。気密性の高い家屋の中だけ、人工的で想いのままの温度湿度環境を獲得した反面、家屋屋外も街も地獄のような空調の廃熱と輻射熱に囲まれ、虫や小鳥たちも安らげない、そんな住環境になり果ててしまいました。
はるかな高木となった屋敷林が見せてくれる、陰影も心地よさも美しさも、健康な木々の営みがあってのことです。現代の表面的な緑地デザイン、建築の空きスペースに見栄えだけで草木を配するランドスケープ、そして造園緑化の在り方など、年月をかけて風土となったこの屋敷林の木々の存在と意味合いの深さの前には、足元にも及ばないのです。
上図は、沖縄の伝統家屋、中村家住宅の敷地配置図です。今もなお、四方を樹高10数メートルの屋敷林に囲まれている様子が分かります。この屋敷林の有無で風速を測定比較した記録があるので、ご紹介したいと思います。
屋敷林の脇、中村家隣地においては、台風時でも平均風速は数m/s、最大でも5m/sに抑えられるという、驚くべき風速緩和効果が示されました。
一方で、上図は平常時の平均風速の比較です。赤い線で示された中村家隣地の風は止まることなく、常に風速1~2メートル程度のそよ風が流れていることが示されました。つまり、屋敷林は風を単に遮っているのではなく、風の流れを穏やかに調整していることが分かります。
このようなことも、人工物では決して真似のできない、木々にしかできない働きなのです。木々の見えない働きを理解して尊重し、適切に樹木や森を配してきた先人の慧眼に対し、現代の建築土木、街づくりの愚かさ、そして短絡的で閉鎖的な快適さに頼り切った現代人に、情けなさすら感じます。
SDGs(持続可能な開発目標)と言いますが、エアコンのきいたビルの中で自然の恩恵を体感することなく、頭だけでモノを考えていて果たして、自然の摂理に従う智慧など生み出されるものでしょうか。
やはり私たちはみな、大切なところで道を踏み外してしまったようです、道を間違えたらそこから前に進むのではなく、いったん間違えた場所まで戻って、そこから正しい道を見つけて歩みなおさねばなりません。
大規模な新興住宅地もビル街も、加速する強風に悩まされて、その対処の方法すら見つからないのが現状です。そんな智慧すら応用もできない現代の頭脳がこれから未来、どんな街が生み出されるというのでしょうか。発想の転換、先人の智慧と自然の摂理を徹底的に学びなおさねばならない時期にきていると言えるのではないでしょうか。
潮風に耐えて林内の微気候環境を力強く守るフクギの葉は厚く、亜熱帯に生きるこの木独特のたくましさを感じます。強い日差しと潮風、台風にさらされるこの地における住環境つくりに、不可欠な樹種と言えるかもしれません。ゆえに、今残る沖縄の民家屋敷林のほとんどが、このフクギが中心となっているのでしょう。
しかし、街路樹など新たに植栽されたフクギの木が、なかなか元気に育っていかない例も最近頻繁に見られます。木々が健康に、私たちや環境すべてに恩恵をもたらすためには、単に一本ずつ植えればよいというものでもなく、木々とともに周辺の大地全体、つまり土中の環境も一緒に育てていかねばなりません。
備瀬集落の屋敷林の根元の様子です。風雨にも踏圧にも耐えて力強く生きるフクギの根は、岩を掴み大地を掴み、絡み合いながら一体となってこの集落の土壌を捕捉し、根と共生微生物群の代謝の連鎖によって、呼吸する豊かな大地の環境を保ちます。
よく、生け垣や外周並木のことを「垣根」と言います。周囲を取り囲むものを「垣」といい、地上部だけでなく、大地全体を外周の樹木の「根」によって取り囲むことによって暮らしの環境を守ってきた、それが「垣根」という言い回しにつながったのでしょう。
つまり、日差しや強風を遮る枝葉の働きもさることながら、大地を捕捉して豊かで健康で流亡しない安全な環境を保つのは、樹木根の働きに他なりません。そのことを先人はきちんと把握してきたことが、この「垣根」という言葉からも想像されます。
清らかな海の恵みとともに代々暮らしてきた備瀬集落の歴史は古く、町並みも数百年と前からあまり変化してこなかったことでしょう。歴史の積み重ねが風土と暮らしの重厚さを育んでいきます。
現代のように壊しては処分し、そしてまた建てるという、再開発を繰り返す町の在り方は、郷愁も郷土愛も母なる大地の営みに対する思いもすべて、奪い去ってしまうものであります。
この備瀬集落は数百年の営みを経てもなお、町のカタチが大きく変わっておらず、従ってこのフクギ並木も、その多くは今の配置のままで年月を重ねてきていることでしょう。その数百年の間に、幹が太くなり枯死したり、または用材として伐採されたり、そんな営みが繰り返されてきたことでしょう。しかし、枯れたり伐採された後も、土中の根系は並木全体が一体となって生きていて、そこからまた新たな芽を出して更新される、そんな営みが繰り返されてきたと言えるでしょう。
根系も、古い株は枯死して土に還っていき、その跡に土中の大きな空洞が生じ、そこに新しい根が伸びてゆくという、絶え間ない土中の営みが展開されます。地上部では木の幹や枝も絶えず再生されると同時に、土中では根株の更新によって深くまで有機物が供給されます。そしてそれは土中の菌類微生物を介して分解され、土中の物質循環のサイクルに帰ってゆくことで、土中の環境も年月とともにより豊かに育ちます。
この木々の幹のほとんどは、せいぜい100年にも満たないのですが、この土地と一体となって育った根株全体は数百年の営みを経ていて、その根下部から幹の萌芽更新(根下部から芽が出て新たな幹となる)が繰り返されるその果てに、今の環境があるのです。
繰り返しますが、数百年の木々の営みの中で成長した土中の環境によって、樹木が強く健康に生きられる状態が作られ、それゆえにこの集落がより涼やかで安全で、快適な環境が保たれているということです。例えば、町並みを変えるとか、道幅を広げるためにこの木々を切り払い、根株も取り払い、その上で新たにフクギを植樹しても、それまでの環境効果は決して得られないのです。
樹齢100年の大木は、苗を植えて100年経てばみな同じように大木になるわけではありません。100年の健康な木々の営みの土台には、それ以前の木々の営みによって育まれた土壌環境の豊かさの上に、今の木々の健康な営みがあります。
年月を経た風土の木々はすべて、健康な大地と一体不二(いったいふに)のものであって、木々の効果を得ようと思えば、大地と一体に、年月世代を超えて育んでいくことが大切だということが分かります。
木々は風土をつくり、気候をつくるのです。その時の人間都合での安易な緑化デザインなどで、木を植えてはまた伐ってしまう。そのようなスクラップ&ビルドの発想から改めねば、快適な街も豊かな風土環境も、すべては過去のものとなり、美しく穏やかな故郷の環境はいずれ、彼方に消えていってしまうことでしょう。
上のイラストは谷間から湧き上がる健康な大地の空気の動きのイメージです。
豊かな木々に覆われた山々に蓄えられたたくさんの水は、重力によって土中をゆっくりと下方へ移動します。反対に木々の吸い上げや気圧の変化によって、あるいは多孔質な土中環境に生じる毛細管現象によって、下方から上方への大きな水の動きも発生します。水と空気は、土中を上下に動き、それによって大地は大きく呼吸しながら、いのちの環境を豊かに育てます。
晴天の朝方、温度と気圧の変化に伴い、谷筋や山間の低地から、夜の間に土中にもぐりこんだ大気とともに水分が地上へと湧き上がっていきます。大地は谷で呼吸し、水は液体から気体へと姿を変えながら、土中と空中を循環しつつ、この地球が生き物たちにとって暮らしやすい状態をつくるのです。それを仲介するのが、大地とつながる木々の大きな働きなのです。
この水の循環が地球上で行われなければ、日中の地上の温度は125℃にも上昇してしまうといわれます。そうなると、多くの植物も動物ももはや生きてはいけないのです。自然界は、私たちの日常見ている世界を超えた、見えない世界で営まれています。
大地を抜けてきた水蒸気は輪郭のはっきりしたきれいな雲をつくります。森の荒廃や表土の硬化、市街化、コンクリート化などによって、大地に水が吸い込まれなくなり、地下と地上との健全な水の循環が滞ると、途端に気候は変わり、我々にとって住みにくい気候へと急激に変貌していきます。
それは砂漠化と同じです。木々や大地の呼吸が失われて、地上と地下の水の循環が途絶えれば、砂漠のように温度変化の激しい、生き物にとって過酷な環境に変貌し、そして大地は豊かさを失っていきます。
水と空気の循環不全がもたらす現代の気候の変化は、具体的には夏の高温化、夜間冷却効果の低下、温度湿度の激しい変化、平常時の風の停止と空気のよどみ、強風時の風速の加速、そして地表周辺温度の極端な上昇に伴う短時間集中豪雨の増加などの形で顕在化していきます。
また、土中の通気浸透不全は、土砂災害や水害の多発を招きます。
私たちは今、国土や気候環境の豊かさが、急速に損なわれていることに気づく必要があるでしょう。穏やかで暮らしやすい気候風土は、豊かで健康な木々が生み出すものです。木々は大地を豊かにしながら、地上と地下との空気の動きを円滑にしていきます。それによって大気は浄化され、気温の変化も大きく緩和され、そして地上に膨大な水分を蒸散させることで穏やかで規則正しい気候環境を醸成してゆくのです。
気候が穏やかで規則正しい営みの中で、人の営みも安定し、それが人の心を温和に豊かに育んでいきます。異常気象、異常高温、暮らしにくい気候環境へと急速に変貌させてしまったのは、現代を生きる我々の過ちです。私たちはこれから、本当の快適さを目指していかねばなりません。それは、自然の摂理に従い、分を超えず、一体たる地域環境全体を快適に育てることから立ち返る必要があるでしょう。
「五風十雨(ごふうじゅうう)」という、古くからの言葉があります。言葉の通り、五日に一度風が吹き、十日に一度雨が降る。つまり、気候が穏やかで順調で、ゆえに人心が安定し、世の中が平穏無事であることを示します。平和で文化的で穏やかな社会のために、五風十雨の営みの安定が必要であり、そのためには私たち一人ひとりが木々やいのちの営みに対して、もっと寛容で優しくならねばなりません。木々や自然の見えない恩恵に感謝を忘れず、見えないものをも尊重できる人類へと成長していく必要があるでしょう。
健康な木々と大地を育み、共存する暮らし方を取り戻す。これからの社会がそんな暮らし方へと穏やかに移行できますように。そんな願いを込めて、この記事を終えさせていただきます。