現代土木の副作用 第一話~  令和元年台風21号豪雨水害

広域化する自然災害と気候非常事態

令和元年もまた、日本各所で日常の暮らしを一変させてしまうほどの災害に見舞われた年となりました。
特に、9月から10月にかけて、三つの台風が連続して東日本を襲い、風倒木などによる広域の停電、水害、土砂崩壊と、その範囲も被害の大きさも、昨年の西日本豪雨をはるかに超えるものとなりました。
今や毎年、それまでの想定をはるかに超える規模の大災害が、とどまることなく広域化、多発化しているのが現状です。

台風21号豪雨の際の低地一体の冠水(千葉市緑区)
このブログに掲載した写真は、特記以外台風21号後に撮影 photo / 高田宏臣(以下同)

その背景にはもちろん、世界的な気候変動に伴う急激な変化があることは、もはや疑いようもありません。 しかしながら同時に、今の日本、そして世界においても、自然環境の急速な劣化にともなって、災害が起こりやすい状況を招いてしまっている事実にも、正面から向き合う必要があることでしょう。
自然環境の劣化の一因には、人間の活動や開発、現代の大規模土木建築の在り方があることも、もはや明確に示されます。そのため、これまでのインフラ強化という視点に偏った従前の防災減災対策のあり方を、根本から見直すこともまた、急がねばならないことでしょう。

おりしも今、世界中で20以上の国の、1,000以上もの自治体地方政府(住民総数2億人以上)が気候非常事態宣言を議会決議し、そしてそれに追従する動きもますます広がっております。
世界153か国11,000人以上もの多くの科学者たちもまた、気候非常事態を宣言しており、(2019年11月現在)彼らは声明で、「予想以上にその深刻化は早まり、地球規模の危機に瀕しており猶予はない」と言っております。

こうした気候変動に伴う人類生存を脅かす危機は、自然災害の大型化、広域化という形で始まり、そして徐々に、文明の活動区域や人の居住可能地域を、想定を超える規模で浸蝕していきます。 それでもなお、大災害の度に、以前にもましてハード面でのインフラ整備が強化される動きが強まります。

「ハード面のインフラ整備」とは、堤防強化、防潮堤や多目的ダム、砂防ダムの建設促進、擁壁の強化や斜面傾斜角度調整など、重量構造物の設置と力学的計算に基づいた「自然に対して負荷をかけることによる抑えこみ」という発想と視点に基づいて進められます。
「人間が自然を抑え込むことで安全も繁栄をも得られる」という幻想は、こんな危機的な時代においてもなお、従前と一向に変わることがありません。

防災減災対策は、非常事態と言われる災害危機の緩和と適応という二つの視点で考えてゆく必要があり、それはもはや、私たち一人一人が考えねばならない時代に入ったことを感じます。
同時に、国土環境はこれまでになく疲弊し、荒廃し、それが災害広域化と脆弱化に拍車をかけている事実に気づくこともまた重要で、もはや猶予のない優先事項と考えます。

そんな中、今回の災害を通して、これからの時代にどう向き合ってゆくか、問い直す必要があると感じる方はますます増えているようです。

沖積平野の成り立ちと浸水

千葉市緑区 二級河川村田川の氾濫と広域冠水(2019.10.25)

台風21号に伴う豪雨は、東日本の多数の地域において、河川の氾濫や排水不良による広域の冠水をもたらしました。私の住む千葉県においても、これまでにない大規模な冠水や土砂崩れが、日常の生活に大きな影響を及ぼしました。

写真は、人的被害のあった千葉市緑区、二級河川村田川の氾濫に伴う、低地の冠水です。
田んぼや周辺道路一帯は川となり、車が流された様子が幾度もニュースで報道された箇所です。
私の自宅のすぐ近くのことでしたが、地元のお年寄りは、「これほどの冠水は今まで、なかったし、先代の言い伝えにも聞いたことない。」と言います。
最近の災害は、それまでの経験からも想定できない箇所や規模の災害へとつながることが日常化しております。

よく、観測史上最大雨量や最大風速とか言われますが、観測開始は、わずか数十年前のことです。それよりも地元の長老の記憶や言い伝えの方が、真実を言い当てていることも多いのは当然なのでしょう。
災害の度、「想定外」という言葉が、東日本大震災以降、繰り返し聞かれますが、今の防災論議の中で欠如している点、あるいは軽視されている重要な点を掘り起こし、根本的な視点から問い直す必要があるのでしょう

JR千葉駅前の冠水(2019.10.25)

実際、千葉県内における冠水箇所は、ハザードマップ想定浸水区域をはるかに超えるものであったことが、今回の豪雨に伴う冠水被害の大きな特徴でありました。こうしたケースは今後ますます増えることでしょう。
今回、ハザードマップ区域外の市街地中心部においても、大規模な冠水が多数発生しました。これもまた、これまでに経験のなかった箇所が多数ふくまれます。

どうしてこうしたことが起きるのでしょう。
今回激しい被災に見舞われた千葉を中心に、地形の成り立ちや過去、現在の土地利用や土地造作に際しての視点の違いなどから、考えていきたいと思います。

🄫高田造園設計事務所

まずは河川と地形から見ていきましょう。
日本の国土の約7割を占めるのが山地です。そして、山にしみ込んだ雨水はあらゆる命を育みながら、土中の環境をも豊かに涵養しつつ、谷筋や山のふもと、そして段丘のキワや川底から湧き出します。
山地の土中にしみ込んだ水が、低い土地に湧き出す際、その高低差がポンプのように水を押し出す働きをします。その清冽な水が低地や川を浄化し豊かに養いつつ、河川に集約されていきます。
そして、隆起浸食を繰り返す山地から、台風や豪雨のたびに流れこむ土砂等が下流域に堆積し、水はけの悪い土地を形成します。それが、その後の海進による水没と陸地化の繰り返しや、大きな地震のたびに生じる液状化の繰り返しによって平坦化されたのが、「平野」なのです。

平野の中でも、「沖積世」と呼ばれる過去1万年以内の、ごく新しい時代の土砂の堆積と平たん化によって形成された平野を「沖積平野」と呼びます。この、沖積平野の面積は、国土の約1割に相当します。
そして、それよりも古い時代(洪積世 200万年前から1万年前)に堆積、平坦化した平地を「洪積台地」と呼びます。
そして、洪積台地と沖積平野との境目などには、段丘地形という、切り立った崖面が自然と形成されることによって、地下水の停滞が解消されて、数万年規模の安定が得られます。

切り立った崖の形成によって地形が安定するのは、沖積低地と台地との境界ばかりでなく、山地と平地とのキワにおいてもやはり、崖面を形成することによって、土中滞水が解消され、そしてそこが安全で地形としても安定する、生産性豊かな土地となるのです。
縄文時代、人口の9割以上が段丘上部のキワに集中していたのは、そうした理由によるのです。

千葉、東京の地形図(カシミール3Dより)

上図は東京湾岸を中心とした地形分布図です。青い部分が沖積低地で、その多くは近世に至るまで、幾度も冠水を繰り返す、滞水しやすい沼地化を繰り返す土地だったのです。
沖積低地は今後においても、気候条件や土地利用上の変化に応じて、水没を繰り返しやすい地形条件と言えるでしょう。

関東大震災における震度加速度分布図(東京の自然史 貝塚爽平著より)

繰り返される海進、洪水、土砂堆積、地震の際の液状化によって成立した低地ですが、こうした沖積低地において地震の際の揺れがより大きくなるという事実は、100年前の関東大震災時の記録で明らかに示されています。
つまり、沖積低地においては、その土地の土中環境条件にも左右されるのですが、概して浸水の危険のみならず、地震においても本来、脆弱な土地が多いことが分かります。

🄫高田造園設計事務所

ところが現在、国土の10パーセントにすぎない沖積平野に、人口の約50パーセントが集中し、さらには建造物や道路など、総インフラの75パーセントが集中しているのが現状です。
本来、水害にも地震にも最も脆弱で、その多くは湿地であった沖積平野に、これほど人や資産が集中した時代は、今現代をおいて他にありません。

そもそも、沖積平野において、人が居住するようになったのは、稲作のための平野の開発以降のことです。それでもなお、住まいの多くは、山際や自然堤防帯といった微高地に集中しており、低地は浸水することを前提に、田んぼなどの遊水地としての機能を併せ持つ形での土地利用がなされていたのでした。
稲作が始まる以前においては、、安全で水はけが良好で、生態系豊かな河岸段丘や海岸段丘の上部などに、人口の多くが居住していたのでした。
人の営みの中心が、なにもせずとも安全で豊かな段丘上部や山地を離れて平野に降りてきて以降、水はけの悪い不安定な土地を、安全に豊かな土地にしてゆくための、大掛かりな働きかけ、いわば大規模な土木造作がそれからはじまったのです。

沖積平野を豊かに安定させてきた、かつての土木造作

河川と沖積低地の田園地域を上空から望みます。沖積低地の大規模開発は主に古墳時代に始まり、また、平城京や長岡京、平安京と続く、平野における都市開発もまた、その後に始まりました。

本来、水はけが悪く水害に襲われやすい沖積平野での居住のためには、そこを安全かつ豊かな環境へと整えてゆく必要があります。そのため、沖積平野の開発の際に、かつて必ず行ったのが、河川の掘削や付け替え、掘割や水路の掘削、ため池(弁天池)の掘削です。
平坦地の掘削によって地形落差を作り、それによって土中の水の流れを促すことで土地を涵養し、滞水しやすい平地においても安定させてきたのです。

京都盆地の人工水路(白川通り)

平野において、条里制に伴う道や区画の整備と同時に、堀割や水路、空溝の掘削は一体のものであって、平野の安定に欠かせない造作だったと言えるでしょう。
水路脇の石垣も川底も、水が地上と地下とを自在に通過できるように造作の工夫がなされています。

そのため、土中を通過した清らかな水が川底や石垣の側面から湧き出し、それによって清冽で冷たい水の流れが保たれます 。
その過程で土中に新鮮な空気も送り込まれ、川と連動する膨大な伏流水の流れ道が自然と形成されます。それは言わば、土中に大きな川幅を作るということであって、自然の働きの中で多量の水を川の下の見えない土中に蓄えて、豪雨時の水量を調整するという、いわば天然の洪水調整機能を有していったのです。

こうしたことを、かつては意図的におこなったのですから、先人の叡智に驚くばかりです。 見えない土中の水の動きにしっかりと視点を向けることにより、本来水はけの悪く安定しない沖積低地を、こうした造作によって、安全で洪水にも強い環境へと変えていったのです。

周辺で冠水が多発した市街地を流れる都川(千葉市)

ところが現在、平地において多くが川岸はコンクリート等で固められ、川底も泥詰まりを起こして川底からの地下水の湧き出しすら停滞させてしまっているのが現状です。
そうなると、河川流域全体から土中を抜けて河川に余剰水が浸みだし、あるいは河川から周辺土中を涵養するという、円滑な水の動きは停滞し、土中の貯水機能も安定も失われていきます。
今、市街地においては特に、河川は単なる排水路としか考えられておらず、最大流量を計算の上で想定して、川幅や堤防の高さが計画されます。
つまり、河川本来の機能である、土中環境との連動による、洪水緩和の機能を高めることは今あまり顧みられていないのが、残念ながら現実です。

写真は、千葉市の中心部を流れる都川です。この都川も随所で氾濫しましたが、この市街地においては、、河川氾濫によらない形での冠水に見舞われたのです。
排水側溝は機能せず、周辺にあふれた水は、川岸の高さ1mを超えるコンクリート壁に阻まれ、川があるのにそこに流れ込むことができず、周辺広域にわたって冠水したのでした。
氾濫予防のための河川堤防の高さが逆に裏目に出たとも言えるでしょう。
こうした例は今回の豪雨では随所で見られました。

約1万世帯が冠水した宮城県石巻市では、東日本大震災の津波被害を受けて建造が進められる海岸の巨大防潮堤など、人工物に水が阻まれて海に流れることができずに、大規模冠水を招いてしまったのでした。
不動なる自然の働きに従うという発想の欠如した現代土木建設においては、一つの目的に対する対処がまた新たな問題の種となるという、副作用の連鎖が際限なく続きます。

平野を安定させてきた、素掘りの水路

京都府 東山南禅寺界隈

かつては低地においても中山間地においても、道脇や山際、集落の外周など、溝を掘り、水の湧き出しを誘導する造作が行われていました。

©高田造園設計事務所

これが土中の水の停滞を解消し、洪水時にも土中に速やかに水を誘導するという、無意識にもそんな意図をもってこうした造作が受け継がれてきたのでした。

つまり、土中環境を豊かに涵養するための土木造作によって、目に見える水の流量ばかりでなく、目に見えない土中において大きな流れをつくることで洪水に対する自然の調整機能を高めてゆく、そんな、現代土木においては思いもよらない発想で、冠水しやすい低地を安全で豊かな環境へと育ててきたのでした。
天然の貯水装置としての土中の構造がこうして普段から保たれていれば、豪雨の際にもかなりの水が土中に浸透して、冠水も大きく緩和されていたかもしれません。

長野県 木曽福島町

ところが現代、素掘りであるがゆえに大地の貯水機能を発揮する側溝水路の本質的な意味合いは顧みられず、これらは今や多くがコンクリートで固められ、土中環境と切り離された形ばかりの水路となってしまいました。

🄫高田造園設計事務所

こうなると、土中の水は側溝に抜けてゆくことができず、土中で滞水します。それが土壌の多孔質な構造を壊して、水の浸み込みにくい環境を作っていきます。
そして、大地は豪雨の際に洪水緩和のための機能を成しえず、それが想定を超える水害を招く大きな要因になっていることもきちんと認識する必要があるでしょう。

神奈川県川崎市 大師町の古地図(昭和初期)

上記は多摩川下流域の沖積低地、川崎大師周辺の古地図です。平坦な低地に規則正しい条里を刻む街づくりと同時に、道のわきで必ず、水路となる素掘りの溝を張り巡らせることで、大地の貯水機能を育み、本来は人の住めない沼地だった低地を安全な土地へと変えていったのでした。
そこにあるのは、自然の営みに対して従順に従いつつ、共存を模索した先人の深く確かな智慧の集積が感じられます。

平野を洪水から守り、安定させるために不可欠だった素掘りの水路は、今や多くが、コンクリート側溝や土中埋設の排水管となり、目に見える地表の水を集めるばかりになりました。
それによって、土壌環境は涵養されず、地下水は土中に停滞して減少、汚濁し、土壌環境を不安定にしているのが現状といえるでしょう。

ところが、こうした河川や大地の環境上の働きを塞いでしまい、環境機能しない都市環境をも、固めることで安全を確保することを可能にしたのが現代土木というものでしょう。
今の過密する人工的な人間の営みや街の利便性を支えてきたのは明らかに、現代土木の発展によるものと言えるでしょう。
しかし、それはあくまで限定的な安全の確保であって、自然環境を弱体化させてしまえば決して持続せず、文明の営みなど、砂上の楼閣のように消し飛んでしまいます。

本当の意味での国土の安全は、健康な自然環境なくしてありえません。
健康な自然環境は、豪雨や台風、地震など、長年の間に幾度も降りかかる様々な気候条件においても、土中の恒常的な貯水透水機能を保ち得る、大地の健全性によって保たれます。

もし、現代土木に象徴される今の文明の営みがこの自然環境の健康を害する部分があるとしたら、私たちは自然環境に対してどこまでのことが許されて、何をしてはいけないのか、いわば文明活動における節度をもって歩んでゆくことがこれからますます必要なこととなるでしょう。

なお、今回のブログの内容は、建築資料研究社発刊季刊誌「庭」238号(2020年1月発売予定)にて、掲載される予定です。そちらも合わせてご覧いただければ幸いです。