ここは神奈川県逗子市池子2丁目、2020年2月5日に発生した斜面崩落事故現場です。
崩落の予兆は確認されておらず、斜面下を歩行していた県立高校の女子生徒が下敷きとなって亡くなるという、痛ましい事故となりました。
犠牲者関係の方々に、心からお悔やみ申し上げますとともに、防げるはずのこうした事故が適切な形で予防されるよう、そんな思いから急きょ、現地調査を踏まえてこの事故現場の状況について報告させていただきます。
平穏な市街地で突然起きた今回の崩落事故は社会に衝撃をもたらし、広くメディアに取り上げられました。
その報道の中、テレビで専門家という人物が、「地質が凝灰質泥岩なので、植物の根が入ると隙間が出て崩れやすくなる」などと、説明していたようです。
こうなると対策として人は次に思いつくことは、「それではコンクリートで固めよう」という発想になることでしょう。果たしてそれが、長期的な視点でよいことなのでしょうか。
安全かつ美しい街を取り戻すために、今回の災害発生に至るプロセスと、こうしたことを未然に予防しつつ持続的に安定を得るにはどうしたらよいか、ここで考えていきたいと思います。
崩落による事故が発生したのは、段丘斜面下の市道でのことでした。斜面の下部は、「コンクリート練積み」という積み方による石積みの擁壁です。
その上部は岩盤が続き、今回この、擁壁上の岩盤斜面上部において崩落が発生しました。
崩落を招く、岩盤の乾燥風化のプロセス
崩落現場から続く斜面一角の岩盤の様子です。
地質的にこの地は、三浦半島から房総半島中・南部に連続する「三浦層群」という、砂岩・泥岩・凝灰岩・シルト等が互層を形成する岩盤帯の一角に位置し、細かく分類すると、「三浦層群逗子層」を基盤としています。
崩落現場周辺の岩盤も同様に、シルトに砂岩、場所によって凝灰岩が挟まれます。
これは、海底の堆積物が岩盤となり、それが隆起して生じた地質構造です。、摂理が多く吸水率が高く、層状の構造によって、透水性や粒度の異なる岩盤層の間が地下水の通り道となります。
それゆえ岩盤の中で水がよく動き、樹木根も土中菌糸も張り付きやすいがために、本来は岩盤上の環境も豊かさであり続けてきたのです。
三浦層群の段丘の多くは、数十万年という年月を経て、しっとりとした状態で安定が保たれてきました。 そこから湧き出す豊かな水は、古くから段丘周辺の集落の営みを支えてきたことも、三浦層群に点在する縄文時代や弥生時代の遺構にも示されます。
水の豊かさも岩盤の安定も、段丘に豊かな森が保たれる必要があります。
長年安定してきたはずの三浦層群の段丘ですが、崩落現場から続く斜面から、ところどころ、今はいたるところで落石が見られます。落石は岩盤の風化によって生じますが、土中がしっとりとした状態が保たれているうちは、岩盤もまた通気し、風化することなく、樹木根や菌糸と一体になって保たれます。岩盤の呼吸が途絶えると、風化を始め、岩盤の呼吸が再開されるまで崩壊は続きます。
この斜面もまた、深く根を張る高木が枯損し、荒れたヤブ状態となっていることからも、この斜面が通気浸透機能を失って乾燥していることが分かります。
本来の健全な状態の岩盤は、樹木が深く根を張って水分をあげ、それがしっとりと岩盤を潤すことで根や菌糸が張り付いて安定します。
この、地中の水の動きが停滞あるいは分断されることで、岩盤に張り付いていた菌糸はすぐに消滅し、そして根も枯れて乾燥し、岩の風化と崩落が起こります。本来の呼吸する岩盤が保たれていれば、こうした崩壊を起こすことなく安定するもので、「これが凝灰質泥岩だから根が入ると崩壊しやすい」という、専門家のテレビコメントは、事実と異なると言わざるを得ないでしょう。
崩落の一因となる土中の環境変化について
崩落斜面の上部には、2004年に地上五階地下一階のマンションが建設されました。
斜面は現在、荒れたヤブ状態となっております。この状態があらわすことは、土中深い位置に樹木根が到達しておらず、表層の浅い位置に集中していることを示します。
こうなると、水は深くに浸透せず、表層浅い位置を流れます。
また同時に岩盤は乾燥し、高木の根は岩盤を支持する力を失います。
岩盤斜面は樹木の根と菌糸によってしっとりとした状態を保つことで安定し、植生が荒れて乾燥していけば、いずれは風化し、崩落の運命をたどります。
こうした、当たり前に生じる自然の摂理に目を向けて、何が岩盤の呼吸を遮断したのか、それを再生するにはどうしたらよいか、そこから考えなければ、今後ますます危険な環境を増やし続けることでしょう。
土中の通気浸透水脈環境の停滞は、斜面の上部と下部双方の状態および、斜面の植生や土壌状態を見ていかねばなりません。
上部については、斜面に近い上部に地下構造物を伴うマンションが建ったことは、土中環境としては、大きな変化であったことは間違いないでしょう。
このことで必ず、斜面際の土壌通気浸透水脈の分断は生じ、斜面の岩盤も変化します。そこで安全を保つためには、もともと生えていた高木の根を活かし、そのためにも土中の通気浸透遮断を解消する手立てを講じていくことが必要になります。こうした視点があれば、建設した後に、斜面の土中環境を再生してゆくことも、実は可能なのです。
現在現場は立ち入り禁止となっておりますが、二日後のテレビニュースで崩落部分の様子が間近で見られました。
岩盤に張り巡らされた根が乾き、岩盤も乾燥して風化が進んでいる様子が分かります。根もぱさぱさに乾き、もはや岩盤の風化を食い止める働きはありません。
こうした土中の環境変化が、人工構造物設置などに伴って生じる、その当たり前のことを、対策の中できちんと考慮される必要があります。
こうした場所こそ、土地を傷めることなく、深い位置にまで根を伸ばして水を吸い上げる力のある高木を中心とした森が健康に保たれる必要があるでしょう。
それにしてもなぜ、ここまで岩盤の風化が加速してしまったのか、この岩盤の環境変化の原因として、上部のマンション建設とともに、下部や両脇の環境状態の影響も考える必要があります。
コンクリート擁壁と土中の環境
崩壊斜面の下部は、起伏の激しい三浦半島の古い市街地でよくみられる、間知石という長方形の面に加工された石を積み上げた、高さ7mほどの擁壁となっています。
この擁壁の構造は、「練積み」と言って、石積みの背面にコンクリートを流し込む形で行われます。
道路舗装とコンクリート側溝設置に伴い、昭和30年代あたりからこの工法が主流となりました。 この擁壁も、昭和30年代の市道舗装に伴う設置です。
練積み擁壁によって、背面の水と空気の動きは悪化し、その影響は上部の植生や斜面岩盤の状態に次第に反映されていきます。擁壁の下に大きな重量がかかり、斜面下部を圧迫して、それによって斜面土中の水は下部に抜けられずに停滞していきます。こうなると、本来は斜面下部で湧き出していたはずの湧水もまた枯渇していきます。
以前のように、大地にまだ力があった時代であれば、それでもまだ影響は限定的な範囲にとどまりましたが、かつてないほどに国土も大地も傷めてしまった最近は、その影響がすぐに広範囲に広がってしまうケースがよく見られます
一方で、背面にコンクリートを用いない積み方を「空積み」と言います。かつてはこの石積みと同時に、下には素掘りの溝が穿たれて、斜面の土中の水が抜けやすいような配慮がなされてきました。
そして、通気する石積みの側面には樹木根が張り付いて、さらに石垣を安定させます。
これが、石垣の下の溝を埋めてしまったり、あるいはコンクリート側溝がはめられたりすると、斜面の土中の水も空気の流れは停滞してしまいます。
かつての石垣は一見、コンクリートに比べて強度に欠けるように見えながらも、実際には自然に溶け込みながら数百年の時を経て安定を保つケースが今もなお、日常的に見られます。こうした自然と調和してゆく方法でなければ本当の意味で持続はありえないのです。
土圧を無理やり抑え込むのではなく、自然の力を借りながら土圧が発生させることなく安定させてきた、かつての土木工法の意味を再び見直す必要があるでしょう。
崩落2年前の様子です。斜面は葛などのつる植物が絡んで荒れたヤブとなっている様子が見てとれます。斜面の土中環境の傷み具合がこの写真からも分かります。
崩落した斜面を正面から見ると、下部だけでなく、左右においても、高い位置までコンクリートで固められている様子が分かります。
こうなると、水脈も分断され、土中の水と空気のはけ口のない岩盤は安定を失い、風化を早め、そして崩落の圧力がこの箇所に集中したのでしょう。
つまり、崩壊を防ぐ目的で作られた擁壁ですが、力学的に抑え込むことによって土中の水と空気の動きを停滞させ、結果として土中環境を不安定にしてしまった面は必ずあるでしょう。そしてそれがその場所にとどまらず、隣接する周辺においての崩壊の危険を増している面があるとしたら、復旧の在り方もまた、なるべく早急に見直す必要があるでしょう。
崩壊に至るプロセスと、環境を再生するかつての工法から
こうしたプロセスを通して、今回の崩落は必然的なことだったと言えるのかもしれません。
この変化を分かりやすく、時系列に断面図で示していきます。
段丘斜面の森は、本来手を付けることなく保つことで、上部、下部共に安定した生活環境を長く保たれてきました。
また、その森の土中の水が滞ることのないように、段丘際には素掘りの溝が掘られ、湧水はそこからまた浸透していきました。
昭和30年代の市道舗装に伴い、現在の練積み擁壁が作られると、その周辺の土中の水は必ず停滞して安定を失います。
が、まだ土壌環境が健康で力があった当時は、その影響は部分的な範囲にとどまり、そして水脈もラインを変えながらかろうじて安定が保たれてきたことでしょう。
ところが2004年、周囲や上部にマンションが建つと、斜面の岩盤も土壌も分断されて乾燥し、そして木々は衰退してヤブ状態となります。
このヤブは土中の水の停滞の表れであり、残った高木もしなやかさを失い、激しく幹折れをするようになります。そうなると、危険木として伐採や強度な剪定が行われ、ますますそれによって、土中深くから水分を引き上げる力を失い、岩盤の風化、乾燥が加速します。
そして斜面は崩落し、今回の事故につながったことでしょう。
土中の環境が人工造作によって影響してくるという当たり前の事実に対し、視点を向けなければ、今後もこうしたことが繰り返されるかもしれません。専門家も事業者も、そして建築の許認可を担う行政も含めて、健康で安全な国土環境を持続させるためにどうしたらよいか、考え直さねばならないように思います。
今、大地がかつてないほどに弱り、災害の広域化、多発化も加速しています。そして気候変動の加速も予想される今だからこそ、こうしたことに対する対処を見直し、自然の摂理を無視せずに、安全な国土や住環境を取り戻さないといけないでしょう。
崩壊する→固める→また隣が崩壊する、私たち人間は、文明の持続のために、そんな愚かさを必ず克服していかねばなりません。方法はあるのですから。
土地が自ら安定させる、それ以外に本当の安全の持続も健康な環境の持続もあり得ません。
では、かつてならこうした場合にどう対処してきたかといいますと、まずは擁壁上部や斜面上部に小段状の地形を作り、そしてそこに深く根を張る高木樹種の苗木を密植します。この時、岩盤を穿って焼き丸太を差し込んで、そこを伝って深部に水が浸透するように改善し、丸太には枝などを編みこんで落ち葉や草を挟み込み、そこに苗木を植樹します。苗木は一年で、岩盤の中の焼き丸太に絡み、深部に到達し、それが斜面全体の通気浸透性を改善していきます。
建物周辺の表層水が斜面に流入せずに浸透させるため、斜面上部にも通気浸透のための穴をあけてその辺の枝葉や草を漉き込みます。
改善植樹後、数年間はまだ、背丈の高い雑草も生えますが、通気浸透性の改善とともに徐々に落ち着いていきます。
そして、数年後、苗木の成長と同時に、斜面の水脈は再生し、深い位置から水がすい上がる、本来の環境へと近づいていきます。それによって岩盤もしっとりとした状態で呼吸を取り戻し、樹木根や土中の菌糸が網の目のように覆って、そしてまたこの状態で安定を得ます。
回復具合の経過観察と、必要に応じた適切な改善やメンテナンスも最初は必要ですが、一度斜面の環境を復活させれば、その環境効果は周辺にもおよび、地域全体の安定と環境の再生につながるのです。
こうしたケースで、すべてコンクリートで固めることで問題を解決しようという論調が多く聞かれますが、 本来、防災対策は、環境の健全化を第一としなければなりません。
今、目の前の危機に対し、これまでと変わらぬ力任せの手法の延長で封じ込めることも、緊急時においては必要なことかもしれません。
しかしその積み重ねが土地の安定を奪い、それが周辺の広域にまで影響して危険な個所を増やしてしまうという、ドミノ倒しのような連鎖が続くのであれば、やはり、環境そのものが自律的に安定してゆく方法を見直していかねばならないことでしょう。
今回逗子で起きたような悲劇が日常的に繰り返されるような状況に陥る前に、私たちは軌道修正していくことが必要に感じます。
なお、今回のブログ報告に際し、逗子の崩落現場に足を運び、詳細な調査の上でその情報を提供くださいました、考古学地理学研究家の熊田浩生氏に深く御礼申し上げます。