コロナについて、某通信社より質問があり、忌憚なく回答しました。インタビュー取材前段階の質問への忌憚ない想いを表したもので、その一部をご紹介いたします。走り書きで非常に読みにくい文章ですが、今の想いを忌憚なく綴りました。
質問1
★現在の国内外のコロナウイルス感染拡大の状況と、人々の反応をどのように見
ているか。
赤字;質問 回答;高田
感染症も環境の産物であり、恒常性の乱れや揺り戻しであると考える。人間ふくむすべての生き物は、菌類微生物ウイルスの無限の代謝連鎖と、その神業のような代謝連鎖系統の組み換えによって、いのちを維持している。
こうした神秘的な自然の営みについては、自然を観る際、人が本来持ち合わせている、純粋なセンスオブワンダー(自然の不思議さに気づく心)によって気付かされるものであり、体感を伴わない知識の集積だけで得られるものではない。
自然は無限のシステムであって、それゆえに今の分析実証の集積をどれほど積み重ねても永遠に到達できないのが、自然の仕組みである。有限は無限にはなりえず、AIがいくら発達しようが所詮は有限の計算能力でしかない。
無限なる自然の本質を把握するのに必要なのは本来、生物の一員たる人間の本能的な感性、そして畏れ敬う心であった。ところが現代文明は、こうした見えないもの計量できないものに目をつぶり、人間の頭だけで都合の良いシステムを作れると信じてきた。
今、その転換期において様々な形で生じる、文明にとって不都合な事態をどう緩和し、そして適応してゆくかが求められる。
大地の環境劣化は、地球一体で著しく進行するまでになった。それはちょうど、人の病気に例えると分かりやすい。
人間が健康な時には、病気やけがは局所的なものとして解決できる。そしてこの時には、分析的な西洋科学的知見は機能し貢献しうる。
ところが、いざ体力がつき、いのちの灯が大地に戻るべき時には、個別の対処も積み重ねてきた西洋医学的知見も経験も無力となる。
災害の多発広域化、予測不能な気象、次々に発生する原因不明の難病、感染症、耐性菌、自然環境の危機的な機能劣化、いのちを支える多様性の喪失、その過程での、今のコロナの事態である。
地球が体力尽きて瀕死の病床にいると考えれば、それはこれまでの局所的救急医療的な対処では対応できないものであり、そこに気づく必要がある。
国連が2012年に報告書で警告した通り、まさに今、世界環境は非常事態にある。
現代の加速する自然環境のポテンシャル劣化を活動の中で日常的に目の当たりにしているものとして、コロナによる今の事態は、今後の大きな揺り戻しの序章に過ぎないと感じる。
そのことに気づき、生き方、考え方、文明の在り方そのものを、自然の摂理に基づいたものへと軌道修正できなければ、コロナ収束の先にまた、さらに解決困難な問題が次々に降り注ぐことだろう。
気候の変動、環境の荒廃は、今後もさらに予測できない事態を招き、我々の傲慢を打ち砕いてゆくことだろう。
コロナについては、今後人間の多様性ゆえに、一見収束してくるだろう。いずれ、人間の体内や環境の中で、この新たなウイルスは様々なカタチで共生を始めることだろう。
その後それは、環境の変化(人間の体内環境含む)によって変幻自在に働きを変えていき、時に母体(人間の体)を傷つけることもあるだろう。それが繰り返される中で、現象(症状)も対象も変化してゆくだろう。そんな、自然の摂理に沿って動くものに対して善悪を峻別し、悪(ウイルス)を排除しようとする果てに、ますます多様性を失い、人の生存基盤を脆弱なものとしているのが現代の対処である。
緊急時はそれも仕方ないかもしれない。が、副作用を伴う緊急時の対処は、なるべく行使しないですむような健康な状態、自然な状態を目指さねばならないことに気づかねばならない。
質問2
★特にウイルスに関する知見が少なく、様々な意見が散見される一方、外出自粛
という厳しい制限が課されています。このような状況下で、自然環境とのつなが
りを保つにはどのようにすればよいのでしょうか。
このことについて、問題の根本を正確に指摘していると思える専門家の意見として、養老孟子氏のインタビューコメント(3月28日?読売新聞)と、福岡信一(青山学院大学教授 4月6日朝日新聞デジタル)の動的平衡理論に基づくウイルスの意味と役割についての記述がある。
いずれも、多様性の意味が根本にある。許容して共存のために環境や暮らし方を見直すことを提起している。
今のように排除と隔離、ではなく、いのちの循環の中で生命が成立することに視点をもつことで、対処の仕方は変わってくるし、隔離と殺菌のような応急的な対処は、ますます環境全体を傷つけ、人の体の中の多様性と平衡を奪い、脆弱化させてしまいかねない。コロナに対する今の世界の向き合い方は、残念ながら、緊急時の対応しか見ていないように思える。
それも今は仕方ないかもしれないが、本質に目を向けてここから学びなおさねば、次に起こるであろうより大きな事態に対応できなくなってゆくであろう。
そのために、多様性の中で平衡を保とうとする自然の仕組みを体感として感じることが必要と考える。
私の主催するNPO法人地球守では、緊急事態宣言前の3月25日、千葉市の里山フィールドにおいて、老若男女合計100人近い人数での屋外イベントとして、醤油絞りと仕込みのワークショップを行った。
醤油や味噌の仕込みなど、発酵を体験することは、見えない自然の仕組みやバランスに気づくための大変良い機会となるため、私たちは毎年、子供たちを集めてこうしたワークショップを実施している。
味噌も醤油もどぶろくも、伝統的に素手を使い、総出で攪拌することで菌を共有し、健康で多様性に富む発酵環境をつくってゆく。
本来、様々な菌やウイルスの交換共有は、生命のバランス修復能力の強化のために必要なことであり、今の隔離による対処は、緊急時の対応に過ぎず、本来は望ましいことではないと知る必要がある。
今回もまた、醤油の酛をみんなで攪拌した。子供たちは毎回、醤油絞り器から絞り出される琥珀色の生醤油に目を輝かせる。
発酵に触れる時、人は見えない世界の神秘を体感し、自然の仕組みを実感する。そのために、私たちNPO法人地球守では何年も前から、味噌や醤油の仕込みや、コンポスト、動物の土葬風葬といった自然の循環を体感するイベントを開催し続けてきた。
その面白さに触れることは、頭だけの百の知識にも勝る、無限の学びとなる。
文明の在り方、科学や技術の在り方の根本からの見直しを迫られる今、こうした自然の真理に対する体感が必要不可欠である。
室内、消毒された環境など、不自然な環境、人間以外の生物を拒絶する今の居住空間は、結局は見えない世界のバランスを壊し、そしてそれが人間の健康をも壊してゆく。
今大切なのは、現代人がどのように自然への体感的な正しい理解を取り戻してゆくかであり、そこから、本質的に何が大切なことか、おのずとわかってくることだろう。
家庭にいて誰にでもできること、今は、料理をしたり、糠漬けを練ったり、ベランダでコンポストを楽しんだり、ポット苗の芽吹きを楽しんだり、自然の仕組みを感じる時間のゆとりは、考えようによってむしろ多くなるだろう。こうした神秘への感動、発見がまた、社会の見え方を正常に戻してゆくことにつながることを願う。
質問3
★オンラインによる仕事や教育に注目が集まっていますが、それ以外の選択肢に
ついての考えを教えてください。
オンライン、テレワークによって、満員電車、会社のチームワークに過度に配慮することなどからくる様々な無駄やストレスから解放され、そのメリットを、人間の成長、時間の使い方の有効利用、不必要なものへの気づきと大切なものの再発見につなげていければと願う。
同時に健康な屋外に出る機会を積極的に増やせるよう、考えられる必要があるだろう。仕事場の環境、鉄筋コンクリートの校舎、空調に頼らざるを得ない不自然な生活環境を見直し、健康な生活環境は何か、考え直す時期でもあるだろう。
これからの時代、ますます大きくなってゆく災害や感染症、困難な病、その都度社会の停滞が生じ、被災者罹患者への救済といった文明のバックアップ機能すら崩壊し、文明の機能そのものが停止する事態も、今後は繰り返し起こることだろう。
一度は耐えしのいで生活や経済活動を再開したその矢先に、また2度目3度目と矢継ぎ早に活動停止せざるを得ない事態が繰り返されれば、もはや継続は困難となり、産業業種の淘汰も起こるだろう。それはある面、社会経済としても多様性の喪失にもつながりかねないが、一方でそれが新たな適応のチャンスととらえることで、文明や人類の進化につなげうるかもしれない。
新たな社会で不要なものが淘汰され、そして、真に大切なものは何か、それは自然環境を育みながら豊かな生産を持続させることだろう。しかも、地域で自足できる資材で行うという、生き抜く智慧を取り戻すことが、安心につながるだろう。
同時に、助け合い、分け合いの中で、自分も生かされるという、かつての田舎では当たり前だったあり方に帰すことも必要になる。
豪雨や台風などに臨んでの安全な居住もまた、暮らしの環境の健康なくして持続しない。
これからたびたび襲うであろう文明停止事態下でのセーフティネットは、環境に生きる知恵と、その土地の風土に根差したコミュニティを核とした助け合い、支えあいの他になく、私はそれをロシアのダーチャにモデルを見出してきた。
2008年、日本庭園講師としてロシアサンクトペテルブルグを訪ねた際に、ダーチャのシステム、暮らし方に触れ、これこそが今後の日本に必要なことと確信し、その後、ダーチャ的暮らし方や思考の普及認知に努めてきた。
その活動拠点として、震災翌年の2012年、千葉市内に2000坪の荒廃した里山を取得し、今も様々活動している。
文明の停止の際、生きてゆくための土地も技術もコミュニティも持たない都会生活者に、ダーチャでの体験的な暮らしを通して、自分自身のセーフティネットを自然とのつながりの中で築いてもらうため、ダーチャフィールドにて受け入れてゆく活動を私たちは始めている。
心ある地元の農家さん方々と連携して、こうした方々を農作業の手伝いなどに受け入れながら、自足の場と方法、生き方の問い直しを支援してゆく。
人間社会もまた、いのちを養いうる自然のポテンシャルの範囲でしか、本来持続的に生きられない。コロナで始まるこれからの社会は、持続しないやり方に頼って生きられる時代にはもはや、戻ることはないことだろう。
そのことにいつ、どの段階で気づくかが、それがその後の社会における緩和と適応に、決定的に影響することだろう。
今、原点に回帰し、人間の暮らし方や文明の在り方、節度というものを見直していかないといけない。
そのために私たちがすべきこととして、不健康な環境での都会のワークから、今こそ、健康に自然と向き合う生業へと、多くの人がシフトしやすい仕組みを提供してゆくことを考えている。
質問4
★特に、10代くらいの子どもたちに向けてのメッセージがあればお願いします。
グレタさんのスピーチにも表れているように、大人が作ってきたこの社会の欺瞞と矛盾に、たくさんの子供たちは「おかしいよ」と気付いていることでしょう。
その、おかしい、という感性は正しい感性です。大切にしてください。
大人は忙しそうでしょう?「忙」は、心を亡くすと書きます。日々の社会生活に追われて心を亡くして生きてきた大人たち、今の社会は間違いを生みました。
そんな私たち大人よりも、君たち子供たちの方がよっぽど正しくものを見ることができる、神様に近い存在であることは確かです。君たちの正しい目を大切にして、おかしいことにどう向き合うか、間違いだらけの大人の言うことをうのみにしないで、君たちの良い社会を目指して考えていきましょう。力を貸してください。
君たちの未来を不安なものにしてしまったのは僕ら大人の責任です。本当にごめんなさい。でも、そんな罪と愚かさに気づく大人も増えています。未来を手渡す君たちのためにも、地球でつながるすべてのいのちのためにも、残りの人生を地球や人間社会の立て直しに力を尽くしたいと思います。そう思っている大人も今増えています。
これからは、僕ら一人一人が社会を作る時代です。神様に近い、子供たちの力が必要です。力を合わせて、良い未来にしましょう。
今は春です。野には日に日に葉が芽吹き、緑が広がり、花が咲き、虫や小鳥がにぎやかに鳴いています。こんな時代でもいのちの限り、生きようとする自然の仲間たちに私たちは囲まれています。
この自然の営みに耳を傾け、目を凝らし、その営みを楽しんでほしいと思います。その営みを見ていると、人間の社会のおかしさ、どうしたらよいか、見えてくることでしょう。
それは大人にも必要なことです。一緒に良い未来を作っていきましょう。