写真は、南房総地区で今年、広範囲で見られたマテバシイ枯れの様子です。
20年位前から西日本を中心に問題視され始めたナラ枯れもまた同様に、今年は関東でも広域で蔓延し、それが大きな話題になりました。
山全体の広域において、林冠を占める広葉樹高木がパッチ状に急速に枯れてゆく光景は、東日本ではこれまであまり見ることのなかった印象的な現象です。
特定の樹木が目立って枯死衰退する際、現代は、その原因として何らかの病気や虫を特定しようとされます。ナラ枯れやシイノキ枯れについてもまた、カシノナガキクイムシの穿孔による樹液の閉塞やそれに伴う病原菌の蔓延が原因とされます。
本来、環境悪化の「結果」であるはずの樹木大量枯損や広域に及ぶ衰退を、単に虫や病気の発生をその「原因」ととらえてしまうことは、問題の本質をますます遠ざけてしまうことにつながってしまいかねません。
そこで今回、樹木の大量枯損が進む山域の踏査を踏まえ、今日本の山林土中環境において何が起こっているのか、報告したいと思います。
この夏に急速に枯損したマテバシイの幹から黒い樹液が涙のように流れ伝います。これもまた、大量のカシノナガキクイムシの攻撃を受けた個体によくみられる姿です。カシノナガキクイムシの大量攻撃にさらされた個体はほぼ、短期間で枯死していきます。このキクイムシが枯れるべき個体を最終的に枯らしてゆく役目を担っているのは確かでしょう。いずれにしても、枯損した個体の多くに大量のカシノナガキクイムシが発生していることは間違いありません。
パッチ状に枯れていくのは、カシノナガキクイムシが同じ山において攻撃する木とそうでない木を選択しているのか、あるいは攻撃にさらされてもキクイムシに侵されて枯れる木と、枯れない木があり、その違いは何なのか、そこに視点を向ける必要があります。
また、激しい枯損の目立つ山域に隣接しながらも、枯損が少ないか、あるいはまったく枯損のない山域もあります。その違いは何なのでしょうか。
このことについては、現地の土中環境を流域全体の視点から丁寧にみてゆくことで、その傾向が自然界の仕組みとともに把握されます。
ここは今回(2020年9月3日)調査に踏み込んだ鴨川市天津小湊、海岸付近のマテバシイ林内の様子です。
幹には全体的に白いカビが付着し、かさかさと乾いた不健康な様相を示しています。樹液の流れがよくてさかんに新陳代謝できうる健康な樹木であれば、こうしたカビも樹皮はきれいでしっとりとしているのですが、こうした目に見える樹皮からも、木々の樹勢後退の進行具合が読み取れます。その原因の多くは、土中環境の荒廃にあります。
土中環境の荒廃とは、土中の空気と水の流れの停滞、あるいは不健全化が原因となって菌糸の後退、土壌団粒構造の崩壊と土中の目詰まり、水の動きを多彩化するのに不可欠な毛細管状の水脈の分断、それによる乾燥や土中の水の停滞、還元力の喪失、根系の後退と、土、水、植物はじめ生物の営みとの連動によって進行します。
根系が後退し、水の吸い上げが途切れがちになると、樹液の流れも悪化し、乾燥し、枝先のしなやかさも失い、ボキボキと、枝の太い部分からも折れやすい状態となります。
そして、林床には実生の芽吹きも低木も若木もほとんど消えて、山の中とは思えないほどにむき出しとなった表土が硬化し、流亡しています。
この日は朝から断続的に降り続いた大雨の後で林床は各所でぬかるみ、つるつる滑ります。
林床の植生も乏しく、むき出しの土の様子はこの山の貯水性も通気浸透性も乏しい状態であることを示します。
土中の通気浸透性が良好に保たれる森では、土中と地上とで空気が常に上下に動くことで落ち葉は絡み合って安定し、表土はむき出しになることはありません。そしてそこに菌糸や樹木根が絡んで腐植層を作ります。
ところが、土中の風水(水と空気の流れ)が停滞すると、落ち葉は飛散してとどまらず、こうして表土がむき出しになります。その地表をさらに降雨が叩き、そして風が表土を乾かして土壌の安定構造を壊してゆくという、悪循環が起こります。
そもそも房総のマテバシイはそのほとんどが植林によるもので、厚くて大地に還りにくい葉は林床の生育を妨げてしまいがちで、植林の弊害が起こりやすいのは確かなことですが、それにしても、マテバ枯れが顕著に起こる山域の林床の荒廃具合は尋常ではなく、これで高木の存続できる森が持続することはないでしょう。
この日は断続的に激しい降雨が繰り返されたにもかかわらず、湿っているのは表層10㎝に満たず、少し掘ればすぐにぱさぱさで乾燥した砂状態となっていることが分かります。
雨が降っても水が浸み込まない、そうなるともはやそこは高木を中心とする森林が生育できる環境ではないのです。
通気浸透しない環境では落ち葉の健全な分解サイクルも保たれず、そこではまず、高木樹種のどんぐりも発芽しない、あるいは発芽しても生育できない状態となります。
森の環境を作る高木の実生が育たなければ、森は保たれることなく、いずれは形を変えていきます。
こうして今ある高木が保たれずに枯れてしまえば、もはやそこは、かつてのように森に戻ることはなく、荒れた藪になるケース(森林の矮小化・やぶ化)も今は日常的に随所で見られます。
森林が果たすべき本来の貯水機能(水源涵養機能)も洪水調整機能、地形の安定機能(土砂崩壊防備機能)もまた、失われていきます。近年の洪水の多発、広域化、山地における土砂崩壊の加速度的な増加もまた、林床の荒廃、土中環境の劣化が大きく関係していることでしょう。
その土地における気候条件において森林が生育できなくなると、そこはいずれ高木が枯れるか倒木するか、あるいは台風などの際の幹折れによって崩壊していき、やがてはヤブとなります。
気候条件とは、気温と洪水量そして降雨パターン、というのが本来なのですが、現代の環境の荒廃を考える際には、降雨が実際にどの程度大地に浸透するかを見る必要があります。
日本の降水量は平均1700mm程度で、それは世界平均の約二倍の量に相当します。その恵まれた降雨が大地に浸透して土中を涵養することで、日本には豊かな森林生態系が養われてきました。
ところがもし今、降り注ぐ降雨の大地への浸透量が仮に3分の1程度となった場合、それはケッペンの気候区分におけるサバンナ気候に相当し、そこでは環境機能の高い森林は育たず、ブッシュと呼ばれるヤブまたは、疎林と呼ばれる、まばらに木が点在するばかりの乾いた草むらの状態となります。
それはちょうど、高速道路沿いの斜面や住宅の空き地などの状態がいつまでも森にならず、草藪の状態が続くことを思えば、環境のポテンシャルを支える水の浸透量という面から、実際の降水量に関係なくサバンナ状態、砂漠状態になりうることが現実として把握されることと思います。
これまで高木枯れや風倒木被災地、地滑り発生斜面の林床の状態を見て回り、高木が存続できる森林状態を支えるだけの降雨浸透ができない状態になっていることをここ10数年来、深刻に感じてきました。
今年になって関東広域で急増したナラ枯れシイ枯れは、局所的な土中通気浸透性の劣化の問題を超えて、広域の山全体の土中環境がもはや森林を維持できないほどに荒廃してしまっていることを示唆しています。
その理由は、近年の激しい気候変化に伴う木々のストレスももちろんあるでしょうが、やはりなにが土中の通気浸透環境を荒廃させてしまったか、そこから考えてゆく必要があります。
マテバシイ林の枯損木とキクイムシの話に戻ります
キクイムシは樹幹内に穿孔して成虫幼虫共に樹木の材を食べる甲虫の総称で、その種類は数百種にも及びます。
キクイムシは一般に衰弱して樹液の流れの悪くなった個体に穿孔し枯れるべき木を枯らして森の更新を促すのが彼らの仕事と言えるのです、
私も造園人生初期の若いころは、キクイムシの穿孔に対して、穿孔穴に薬剤を注入して殺虫するということをやってた時期があります。それは今も一般的に行われている通常の方法です。
殺虫によって、樹木は延命しますが、その樹木の置かれた環境そのものを改善しない限り、キクイムシの穿孔・薬剤注入と、その繰り返しの果てにますます衰退してゆくという悪循環に陥る、それはまるで、副作用の強い薬で延命させる現代医療のようで、その悪循環の果てに環境はますます荒廃していきます。
キクイムシが先行する個体は樹液の流れが悪く樹勢すぐれない理由があり、そこを改善せずに単に虫を殺虫してもそれは樹木の延命に過ぎず、衰弱は収まることなくいずれは枯れてゆく、そうしたことをもまた、身をもって経験してきました。
薬剤による防除が結局は根本的な解決につながらないことを私たちは散々知っているからこそ、木々が健康に生育できる環境を整えることで、森全体として健康な状態を再生することの他に、根本的な解決はないということを伝えたいのです。
健康な木においては、キクイムシは坑道を塞ぐ樹液に阻まれて穿孔できず、あるいは窒息し、樹木はダメージを受けることはほとんどありません。
高木や太くなった木が代謝に必要な水分を吸い上げられない状態になったとき、樹液の流れも停滞し、その時がキクイムシの穿孔のチャンスとなり、一斉に枯れてゆくケースがよく見られます。。
だから、特に大量の蒸散が必要な夏の時期に一斉に枯損が進むもので、今年の広葉樹枯れにおいてもやはり、7月以降、夏に大量の枯損が広範囲で見られました。
よく、カシノナガキクイムシは健康な樹体をも侵すこともあると言われます。
それが、薬剤防除の根拠とされてしまうのですが、実際に被害地に分け入り環境状態、表土の状態をきちんと観察すれば、一見遠目には健康な状態に見えても実はその山域全体において健康な状態ではないことがすぐに分かるのです。
土中の構造が壊れた林床でよくみられるのが、樹木根元周辺の土の乾燥です。
本来の健康な状態であれば、樹木の根元には大小無数の土中空隙が保たれて、そこに降雨は樹幹を伝い、浸み込んでいき大量の水が蓄えられます。
ところが、大木の蒸散に伴う吸い上げ圧に対し、土中からの水分供給が追い付かなくなると、毛細管でつながって吸い上げられてきた根と土壌中の水の流れは分断されてしまい、根の周りから乾燥していきます。
こうなると、健全であれば降雨の際、樹幹を伝い本来根元に浸透してゆくはずの水は、細粒化(単粒化)した土壌に浸み込むことなく周辺に流れ、そして乾燥して構造を壊した根元周辺の土もまた流亡していきます。
こうした環境で大木が長寿を全うできるはずがなく、対症療法的な薬剤防除の前に、山林の通気浸透性を再生することこそが本来必要なことなのです。
では、なにが大地の呼吸というべき、通気浸透機能を妨げているのか、それは周辺環境全体から見てゆく必要があります。
今回調査に踏み入れたこの山域のふもとには、家屋やアパート、駐車場が迫ります。
土地の風水環境を乱さぬ配慮のあったかつてであれば、こうした山のふもとに居住する際は、土中の水の動きを停滞させないよう、必ず山のキワに溝を掘り、そこで山肌や溝の底から浸み出す水を集めます。
ところが現代、そうした配慮を忘れ、土中の水の動きを顧みることなく、建築土木開発の度に、水脈を遮断していきます。
ふもと山際の塀に落石の堆積が見られます。岩盤や土中の毛細管現象による水の動きが途絶えると、岩は乾燥し、そして岩盤崩壊が始まり、落石が起こり始めます。
日常的な落石の発生は、上部山林の通気浸透水脈の寸断を表します。
今は当たり前の光景となりましたが、ここでもまた山際ぎりぎりにまで塀を廻し、そして山の呼吸を確保する溝もありません。
こうなると、上部の山林においても水が浸透せずに表層を流れ、そして土中は涵養されず、徐々に土中の多孔質構造は崩壊していきます。樹木の根は深部から衰退し、表層に根上がりを起こして、地すべりの発生しやすい状況をも招いてしまうのです。
山に浸み込んだ土中の水も表層水も麓へと動くので、その地形の変わり目と言える山際の観察からも、上部山域土中環境の健康具合が読み取れます。
溝の埋没、湧水の停滞、乾燥、表土硬化、そして岩盤の呼吸停止に起因する落石の常態化、これもまた山林の不健康な状態を示します。
今、落石に対してもまた、単に落石防護策を設置して防ぐという発想で対策されます。かつてであれば、そもそも落石とならずに岩盤そのものが安定するように土中環境を保つための造作を施すという発想があり、それが人の暮らしと環境の健康とを見事に両立させ、活かしあってきたのです。
地形の変わり目部分に不用意に重量負荷を与えることによって、上部の土中環境が悪化してゆく、そうしたことも植生の変化を見れば一目瞭然です。
ここでも落石防護柵周辺は葛などのツルが繁茂し、植生の荒廃が進行していることが
こうした水脈環境の遮断と今起こっている高木枯れとの関係を、単純に結び付けて、すべての原因をそこに帰結させることには若干の飛躍がありますが、実際に植生と土中の状態、高木以外の樹種を含めての木々の衰退と土中環境状態との因果関係があることは明らかです。。
しかし同時にまた、林床環境の荒廃がどの一線を越えたときに、今起こっているような広域での高木枯れに進むのかは明確には分かりません。土中の泥つまりが進行して大きな影響の連鎖が始まる段階を「臨界点」とすると、そこを超えるまでの時間は、場所ごとの環境のポテンシャルの違いによってタイムラグが必ずあります。
今時点で言い切れることは、水脈環境の健全具合が環境状態を決定つける、健全な森が保たれるためには、土中環境が森を支えるだけの健全性が維持されていなければならず、現状の対策としてすべきことは薬剤防除ではなく、自然環境のポテンシャルを壊してしまうプロセスを理解し、そして健康な土中通気浸透環境を再生してゆくということでしょう。
これはまた別の地域、ナラ枯れの様子です。
やはり、樹皮も枝先も乾燥して老化したようにカサカサで白く、樹液の流れの悪さがうかがえます。
また、周辺林床にも高木樹種の幼木若木は消えて、ネザサやイネ科キク科といったの荒れ地の雑草の進入や荒れ地特有の徒長成長がみられることからも、すでにここは森林が維持される環境ではなくなっていることが分かります。
ここでもまた、雨の続く中、ナラ枯れの根元を掘ると、やはり土壌の団粒構造は崩壊し、そして水は浸透せず、毛細管現象による深部からの湿気の吸い上げも起こっておらず、ぱさぱさに乾いています。
今、本来の健康な林床を見ることはなかなかなくなってしまったので、比較対象を探しにくいかもしれませんが、枯損もなく林冠も安定して比較的良い状態を保っている個所もあります。
林床の状態植生状態を観察することで、これが森として更新可能な遷移過程の現象であるか、あるいは環境荒廃のプロセスの中で生じる、植生の矮小化ヤブ化の一環なのか、それは確実に分かることです。
ただ、現代、高木枯れの現象を単に病虫害特定に帰結することに集中して環境全体を読み取ろうとしなければ、こんなに誰にでもはっきりとわかることすら見落とされてしまう、これが現代社会の現実であり、ここから視点を取り戻していかねばなりません。
これは、家屋裏山の荒廃、竹林化の様子です。
写真の通り、今年の高木枯れも一本確認できますが、荒廃竹林の中に点在する、上部だけ枝葉を残したシイやカシなどの常緑広葉樹の奇妙な形状からも、これはつい最近(10年程度以内)前までは残存木の枝葉の高さまでこんもりとしたひとつながりの森だったことが推測できます。
実際、広範囲における高木枯れの前に、耕作放棄地や家屋の裏山、水路際などといったいわば里山においては、すでに30年位前から荒廃、高木枯れが指摘されてきました。
こうしたことも現代は、竹が進入して木々を駆逐したと考えて、竹を除去すれば問題は解決するかのように考えてしまうのが一般的です。
高木枯れの場合は虫を退治すれば済むと考え、竹林の増加浸食については竹を退治すればよいと考える、環境全体を見ないそんな現代の発想がますます、環境が自律的に修復できないまでに、痛めてしまっていることに気づかねばなりません。
実際、なぜ里山の裏や山際、水路際などから荒廃するか、これもまた、よく言われることは、生活様式の変化による、里山の放置が原因と言われます。
これもまた、問題の本質を遠ざけてしまう、空想上の指摘と言わざるを得ません。
一連の水脈環境の変化を見ていけば、なぜこうした個所から森林の荒廃、ヤブ化が始まったのか、よくわかるのです。
これはかつての山際の民家の水脈環境です。
キワに必ず溝を掘って、平地での人間活動が山の通気浸透を阻害しないように配慮し、そして地形の変わり目にもまた素掘りの溝や池を掘り、土中の風水の停滞を解消してきました。
このため、裏山の土中において水と空気の流れに停滞を生じることなく、森の再生力や森林としての様々な機能もまた、持続的に保たれ続けてきたのでした。
おおよそ戦後、中山間地では昭和30~40年代以降のこと、家屋に雨どいが取り付けられ、そして雨水や下水は自家浸透ではなく、排水管で外部に放出されるようになってきました。
それと同時に、山際の溝にもU字側溝が取り付けられ、そして河川もまたコンクリート護岸化が進みます。
田んぼもまた区画整理される中で、それまで先人たちの永代の努力によって保たれてきた水脈環境が一気に崩壊していきました。
その影響はまた、まずは裏山や水路際の荒廃、土中の酸化腐敗(グライ化)にはじまり、そして水脈を通して上部流域全体にもその影響が及んでいきます。
そんな視点で今の高木枯れをも見てゆくと、様々見えてくるのです。
例えば、急峻な岩盤裏山を背にして、山際をあまりいじっていない箇所は、民家の背面であっても裏山もまた比較的良好に保たれ、今年も高木枯れも見られません。(写真参照)
一方で、新たに建造されるホテルなど、大きな建築工事に伴う水脈の遮断が、こうした山の谷筋を造成して建てられると、裏山は急速に従来続いてきた森も保てなくなって急速に荒廃していきます。
このホテルの背面左奥は尾根に至るまで、高木のほとんどが枯れています。
枯死の様子から見て、これは数年前から始まった枯損であることが読み取れます。おそらく、建設造成と歩調を合わせて裏山の変化も進行したことでしょう。ここもまた、本来の高木林に戻してゆくためには、適切な造作による水脈遮断の解消が必ず必要になってくるか、あるいは地滑りや斜面崩壊といった自然の自律的な再生作用によって水脈の停滞が解消される必要があります。
右側旧道のトンネルは、在来工法で土中の水脈環境を大きく傷めることは、あまりありませんでしたが、こうして新たな工法でトンネルが掘られ、その都度水脈を塞いでしまうと、上部山林も急速に荒廃が進み、そしてここでもまたこうした個所の高木枯れは、やがて甚大に広がっていきます。
現代のトンネル工事の問題は、それによる水脈の遮断にとどまらず、残土埋設による水脈停滞によってもまた、大きく環境を変えてしまうことにあります。
このトンネルの隣の谷筋は、トンネルを掘削した残土で盛土されています。(写真参照)
ここの両脇の山林においてもまた、激しいマテバ枯れが進行しています。
むろん、こうした谷間に盛土する際、山際の川筋までをつぶすことはなく、こうして盛土の際に土留めして谷筋のラインを保とうとしますが、その谷もまた、山の荒廃に伴う土砂や落石の堆積、川底湧水の停滞、平常時の川水の枯渇と、もはや谷としての環境上の機能は失われてしまいます。
一方、大雨の際にはここは浸透しない山の水が一気に流れ落ちる濁流となり、水害の危険をも増します。
そしてまた、荒廃した山林斜面は根も後退し、土壌構造も崩壊し、常に土砂崩壊の危険にもさらされます。
高木枯れは山からの警告であって、問題の本質は、山林本来の健全な環境を保てなくしてしまったことにあるのです。
房総の山道を走ると、やはり転々とナラ枯れの目立つ箇所があります。そこに車を停めて一つ一つ環境状態を観察していきますと、必ずと言ってよいほどに水脈環境上の問題が把握できます。
この山域においても、林床は荒れて表土も落ち葉も流亡しています。大地が涵養されず、高木が保てず、従って健全な森林環境が保てない状況になっていることが分かります。ここでも荒廃した環境下でのナラ枯れなのです。
そして、山域の下の河川を見ると、護岸に堰堤、そして土砂落石の堆積と、谷の呼吸を失っている荒れた状態に陥っていることが分かります。
数十年前から続く現代土木の蹄の副作用は、顧みられることのないままにさらに激しさを増してゆく、こうした水脈への無配慮の果てに、今、山全体が悲鳴を上げるように森の崩壊が進行しているのが現実と言えるのではないでしょうか。
戦後に始まった国土開発や皆伐一斉造林、現代土木技術の山地や中山間地への本格的な進出に歩調を合わせるように、昭和30年代あたりから全国的に松枯れが進行しました。
そして、北陸上信越地域では上信越道、北陸新幹線の延伸を機に、広域においてマツ枯れ、ナラ枯れも発生しました。
写真は5年前、新幹線開通数年後、激しさを増したマツ枯れ山林調査時の写真です。
実際のところ、環境全般を土中環境から見ていかない限り、根本的な対処などできるはずがないのです。
戦後目立ち始めたマツ枯れについても専門家は、「人が里山を利用しなくなったために、松から本来の広葉樹林に戻ってゆく、自然本来の遷移」だとか、あるいは「戦後進駐軍とともに入り込んできたマツノザイセンチュウの蔓延」だとかいう根拠のない推測が、もう何十年も前から変わらぬ定説となっております。
かつてであれば、例えば戦前は松林だった京都の嵐山がその後、広葉樹林になっていったように、マツ枯れもまた植生遷移の一環であるという指摘も間違いではない箇所も多く見られました。しかしながら、現代起こっている高木枯れは、林床を観察すればそれが遷移の一環などではなく、環境の崩壊へのプロセスの現れであることが分かります。
それが大地を息づかせてきた水脈環境の遮断と因果関係があることの認識があれば、改善の道筋もまた自ずと見つかられるのです。
最後に、水脈環境改善によって高木枯れの進む山林もまた再生できる、その事例を少し紹介したいと思います。
ここは新潟市北区、海岸松林です。2015年からの水脈環境改善作業直前の様子です。
この地域の松林は、毎年の薬剤防除にもかかわらず松は枯れ続け、そして林床もヤブ状態となっておりました。
飛砂防備並びに保健保安林と、2重の保安林指定を受けている重要な海岸林でありながら、行政が専門家の指針に基づいて対応しても一向に改善されないのです。
こうした枯損を単に虫害のせいにして、虫さえ退治すれば問題が解決するという現代の専門家の発想では、森林の崩壊を食い止めることなど決してできず、新たな問題の連鎖を招くばかりなのです。
一方で、われわれが枯損松林を水脈環境から改善したエリアは、農薬散布を停止したにもかかわらず、その後の4年間、マツノザイセンチュウによる枯損はゼロとなり、健全な生育が戻ってきました。
写真は同じ場所、2年半後の様子です。今はどう見ても問題のない松林へと変貌しています。
この改善事例が端的に示すように、自然界に起こる事象をまっすぐに受け止め、寄り添い、そして正しい視点さえあれば、根本的な問題解決の糸口も方途も必ず見えてくるのです。
先日公開された林野庁の来年度概算予算要求においても、高木枯れは病虫害対策に位置付けられ、薬剤防除の他に何の対策も立てられていないのが現状です。これではますます森林の崩壊に歯止めはかからず、呼吸しない大地は気候をさらに荒げていき、国土はますます危険をも増してしまうことでしょう。
一日も早く、根本的な問題に気づき、正しい対処へと方向転換していかねば、われわれはいのちを支える環境の豊かさも国土の安全もまた。失ってしまうことでしょう。
長いコラムとなりましたが、多くの人に伝わることを願います。