コラム2で紹介しました田んぼの話はのちにまだ続きますが、ここで一旦田んぼを離れて、第3話では水を生み出す山の働きについて、お話ししたいと思います。
よく、山は緑のダム、と言われます。ダム、と聞くとおそらく、降り注いだ水が山全体に貯水されてそれがゆっくりと湧き出して流れてくるイメージがあると思います。
ところが、水源としての山は、そんな我々現代人の想像を越えて、雨水を貯めるだけでなく、枯れない水を作り出すという、自然にしかできない貴重な働きをし続けているのです。その仕組みについてお話しします。
雨が降らなくても枯れることのない豊富な清流を保ち、限りなく透明な湧水は、健康な山河の証となります。
写真は長野県と新潟県境の豪雪地帯、秋山郷山中の水の湧き出し箇所です。雪解け水を集めて、その水は斜面のいたるところ、岩場から湧き出しては潜り、そしてその水は川へと合流します。
この時期、湧水の水量が急増しますが、それでも健康な源流域の湧水は清流を保ちます。そして、自然に生じた石清水の湧き出し箇所を抱えるように、大木が苔むした岩に根を下ろす、そんな光景があちこちにみられます。
水は岩間を抜けて水の道は集約され、噴き出すように地中から湧き出します。苔から滴るように水が浸み出し、そして岩の亀裂に湧水を守るかの如く木の根が進入します。
雪解けの時期や降雨後など、その水量は増加しますが、こうした石清水の多くは、雨が降らなくてもその湧き出しは年間を通して枯れることがありません。
川の水の由来が、山に降り注いだ雨の水が土中でゆっくりと下に動くだけなら、降雨がなければその水は枯れることでしょう。なのに、健康な川の水が枯れないのはなぜでしょうか。
急峻な山は潤沢な水の源であり、古来それはふもとの集落によって崇められ、鎮守の森として守られてきた名残が今もたくさんみられます。
特に、尾根筋や山頂部に露出した岩は太古の昔から磐座(イワクラ)として守られ続けてきました。そうした場所では、山頂部の磐座から浸み出す湧水が絶えない箇所やその痕跡も数多く見られます。
こうした山は岩盤の隆起によって形成され、山全体が岩で構成されます。その岩は造山運動における隆起褶曲に伴い、大きな圧力を受けて無数の節理(岩の亀裂)が生じます。
切り立った岩壁に無数の節理が走ります。岩が呼吸を絶やさぬ時、岩盤はしっとりして安定し、そしてその節理はうるおい、岩の亀裂のいたるところで水の浸み出しが確認できます。
岩の亀裂から水が浸み出す様子です。節理に水が伝い、それを追いかけるように菌糸が入るとそこから苔が生してきます。その苔と菌糸が岩間の水を集め、同時に苔や菌糸、草木根とが分泌する酵素が岩盤をゆっくりと溶かし、水の通り道を広げてゆきます。水に溶け込んだ岩は生命に欠かせないミネラルを大地に供給します。それが岩清水です。
谷筋の岩場に苔が生すと、そこに水が集まり流れ出します。そこに根を下ろした木々もまた、地中深くから水を吸いあげ、それが岩を潤し、菌糸や苔を育みます。
つまり、山において水は上から下へと動くばかりでなく、樹木によって下から上への動きもまた同時に行われているのです。それゆえに、健康な山では雨が降らずとも川の水が枯れることがないのです。
その絶えない水を集める拠点となるのが岩場です。古代から人はそのことを体感的に把握してきたからこそ、山頂部の露岩を大切に敬い、聖地として祀り、守り続けてきたのでしょう。
木の幹に付着した苔もまた、それ自体が水の供給源となります。
これは苔むした幹から、絶えない水が樹木の根元に滴り続けている様子です。スポンジ状となった苔は水分を含み、それをゆっくりと滴らせます。健康な森の中で木々や岩に付着した苔は、日常的に朝霧や夜露などの空気中の水分を捕捉して、その水を木々の根元や岩に供給し続けているのです。
その水は木々の根元から岩間を抜けて集約されて、多くは谷や川の底から湧き出し伏流水と合流しますが、その一部はこうして岩間から湧き出します。その湧き出しを守るように、樹木の根と苔が覆います。
樹木の根は水の道や岩の亀裂に細根を伸ばし、そこでミネラル豊富な水を吸うと同時に、岩や苔と共存して水源を守る役目をも担うのです。
岩間に染み込んだ水は水脈を伝い、土中で浄化され磨かれて、川底から湧き出します。
湧き出す水と流れてくる水がぶつかり合い、それが浄化力や還元力の高い、命を育む水となって、健康な山河を育み、そこに生きる動植物を潤します。
山の水が岩間を伝って川底から湧き出す健康な河川の水は青く透明で、艶があります。川底の石の滑りもありません。そんなきれいで力のある水は、健全な山河の岩間の通過する過程で育まれるのです。
そして、山が健康であれば、その水は、絶え間なく生み出されるのです。
それゆえに、山は単に雨水を蓄えるダムとは違い、常に水を下から引き上げて上下しながら大地を養う、揚水と浄化を兼ね備えたポンプとしての働きを担い続けているのです。
その仕組みを断面図で図示します。
山が健康であれば、美しく健康な水は、耐える事なく生み出され続けるのです。そして、高山のように山が高ければ高いほど、その高さの分だけ川底に水を押し出す力は強く、その範囲は広域に及びます。
山と川は岩盤を通して繋がっていて、その亀裂を伝う水の動きもまた、一体となって連動します。
木々が水を吸い上げるとき、岩の節理に張り巡る菌糸を伝い、水は上へと吸い上げられて、そしてまたその多くは岩盤を潤し、岩間の水の道を伝って再び下方へと落ちていきます。こうした上下の水の動きを常時行っているのが、木々や苔むす山々であり、例えばここで木々を切り払い、岩盤を削ってしまうと、もはやそのポンプとしての山の働きはなかなかもとに戻ることはないのです。
地形を支える岩体としての山、そこが森となり、潤い、それが豊かで美しいいのちの水を生み続けます。山と川は一体に存在して大地全体を息づかせている、その源に、高山の木々と苔と岩との知られざる協奏の世界があるのです。
岩の働き、高山の働きについて、後に続きます。