なぜ砂浜は後退するの? –土壌の安定は地下水の動きが鍵! 第1回–

第1回 まず海岸線の地形の成り立ちとその豊かさを知ろう
新潟の砂州と千葉の海岸平野の事例から

全国的に砂浜が削られて後退してゆく、そう言われ始めたのはここ20~30年程度のことでしょう。なぜ今、急速に海岸が削られ、砂浜が消えてゆくのか。形を変えてしまって安定しないのか。そんな質問を最近よく受けます。
そこでこの機会に少し、砂浜の後退と地中の営みについて、3回に分けて地球守のウェブサイトでお話ししたいと思います。長編ですが、お付き合いいただけましたら幸いです。

上の写真は新潟市西区の海岸線です。
ここでも数10年前に比べて50m以上も砂浜の後退が見られ、その対策として沖合にテトラポットが列状に配されて、波による侵食を食い止めようとしています。
全国津々浦々で起こる砂浜の後退、それに対して、海水浴場などの観光地を中心に、砂の補填もあちこちで行われておりますが、砂浜の減少と海岸砂浜の不安定化はとどまるどころか、むしろこの数年加速度を増すように浸食が進行しています。

なぜ最近急速に、砂浜の浸食や、砂浜地形の不安定化が加速したのでしょうか。このことについてのわかりやすい事例として、4年前に調査しました新潟砂丘の営みと、それが意味するものについて紹介したいと思います。


越後平野の大河川、阿賀野川河口部に生成したラグーン(潟湖)。

新潟平野は、数千年の営みの中で形成された、幾重にも連なる砂丘列とその間の砂丘間低地の連続の上に成立してきました。写真は新潟市北区阿賀野川河口部周辺に形成された砂州によって、海と区切られたラグーン(潟湖)です。

ラグーンは砂州や砂丘を隔てて海辺にありながら、地下水の涌き出しによって成り立つゆえに、常に清らかな淡水が蓄えられて、それが水辺の生態系を豊かに育みます。そこは汽水域でもなく、常に淡水状態が保たれているのです。そして砂州の向こうは常に海水が押し寄せます。つまりこのラグーンと海との結界ラインに形成される砂州は、淡水と海水の境目のラインであることがわかります。


縄文海進時期の新潟平野。低地が水没してもなお、沖合に砂州が伸びて安定し、次第に陸地が形成されていく。出典:信濃川大河津資料館資料より

この図は、縄文海進によって現在の日本における沖積低地のほとんどが水没した時期の新潟平野です。現在の新潟市街地のほとんどが海底であったころに、砂州が細長く伸びて、外海を遮断しようとしている様子が分かります。
波の押し寄せる海岸で、なぜこんな位置に砂州が伸びて、しかも波にさらわれることなく安定して陸地化してゆくのか、そこに、海と陸の水の動きのせめぎあいという、絶妙なバランスの存在が見えてきます。

砂州は、海辺の底から湧き出す淡水圧と海水圧がせめぎ合う微妙な位置に伸びた、堆砂のラインなのです。当然、淡水圧と海水圧は季節や時期によっても常に変化してゆきます。そんな絶え間ない動きの中で、砂州を安定させるものはなにか。いろいろありますが、第一に、波の浸食圧に対抗しうる強い地下水の涌き出しがあり、砂浜からの地下水の涌き出しが海水浸食圧を押しのける作用があげられます。

ところが、さまざまな周辺環境の変化によって、河川からの浸透水の涌き出しが減少すると、当然ながら砂浜は海水圧に抗せずに削り取られていきます。どのような過程で、これまで砂浜が伸びて安定し、陸地となってきたのか、このことを説明しながら、現代の砂浜の不安定化の原因を見ていきたいと思います。


海藻が打ち上げられた砂州の渚。

上の写真は、砂州の渚のラインに沿って、海藻類などの有機物の堆積が幾重にも見られる様子です。実はこの押し寄せる有機物が、砂浜の安定と幅を増していく上で、とても重要な働きをしていることに気づかねばなりません。

海藻の堆積後、時間の経過とともに黒い土状態に砂が変化している様子が、この写真からもうかがえます。菌類微生物の作用により堆積物が分解される過程で、微生物が伸ばした菌糸が砂を捕捉します。菌糸が水と空気を求めて砂の間を絡むように伸びることによって土壌が安定するのです。渚の黒いラインはそのように形成されます。

阿賀野川河口の砂州に堆積した流木・枝葉。微生物との共同作用で土壌を安定させる。


写真は同じ、阿賀野川河口の砂州です。さっきの海藻のラインと同様に、渚に平行するライン状に流木・枝葉が堆積しています。砂州に堆積する流木類は、波打ち際に打ち寄せられ、絡み合って安定します。この有機物が分解する過程でも、土中に菌糸が伸びて砂を捕捉し、そこに草木根やさまざまな土壌生物が張り巡らされたように棲息します。彼らとの共同作用によって、土壌は安定した構造を作っていきます。

砂州は、単なる土砂の堆積だけでは安定せず、枝葉流木などの有機物の堆積があって初めて安定してゆきます。そこには見えない自然界の営みがあるのです。

安定した砂州の土壌。

砂が堆積して砂州となってからわずか数年という短期間であっても、打ち寄せられた流木・枝葉などの有機物の分解が進む箇所では、すでに安定した土壌と植物根が絡み合い、たくさんの土壌生物も観察できます。

こうしたラインが砂州にできると、そこを中心に新たに砂丘ラインが安定して形成され、波にも削られない状態となっていきます。さらに土壌化によって植物根と土中微生物の菌糸が地下水を誘導し、海底湧水となって海水圧を押し返すことで、砂浜が海側へと張り出していき、バランスのとれた位置で安定した地形を得ることが感じとれます。

千葉県九十九里浜と沖積平野(スーパー地形 ©︎Tomohiko Sugimoto
Ver3.8 (C)2016-2019)

もうひとつ、砂丘以外の一般的な海岸平野の事例で、かつての砂浜の成長と陸地化、そして安定に至る過程を千葉県九十九里浜周辺の鳥瞰図から見ていきましょう。写真で青く表示される低地部分は、千葉県東部の九十九里平野です。
鳥瞰図は高低差を色で表しています。九十九里平野には、海岸線に平行に幾重にもわずかな高みのラインがあり、そのラインに沿って集落が集中していることが分かります。

この渚ラインの微高地は、かつての波打ち際に押し寄せて堆積した有機物の土壌化と菌糸の誘導によって形成された安定した地形です。新潟における砂州形成の事例からも想像できます。また土壌の構造が安定し、水はけがよいため、家屋が集中するのです。ここは海岸低地においても安定した住まいの適地であり続けてきました。それこそ古くは縄文時代においても。こうしたラインに集落の痕跡である貝塚が並ぶことからもわかります。
ここはいわば海岸線における「自然堤防」ラインと言えるでしょう。

本来自然堤防とは、河川沿いにおいて生じる微高地のラインを差します。この地形の生成過程を簡単にお話しします。かつて沖積地を自由に流れていた河川において、豪雨台風洪水などによる繰り替えされる河川決壊の際、上流から流れてきた流木・枝葉が河川に平行に列状に堆積していきました。菌類微生物の作用により堆積物が分解される過程で、微生物が伸ばした菌糸により土壌が安定することはすでに説明しました。このラインがやがて、沖積地にあって洪水にも流されずに安定した微高地を形成し、そこが暮らしに適した安定した大地の環境が形成されるのです。
地形に高低差が生まれると、土中に蓄えられた雨水がゆっくりと地下水脈を涵養し、それがサイフォンポンプのように低地や川底に湧き出します。水と一緒に土中の空気が押し出されるように動くことで大地の呼吸が促され、土地の安定につながってきたと言えるでしょう。

河川同様、度重なる津波や高波、台風などの時、流木・枝葉が海岸線と並行するラインに沿って堆積し、それが土壌となる。その繰り返しの中で、海岸線が海へ海へと広がって陸地になってきたのです。単に陸地からの土砂の供給と堆積が砂浜や陸地を拡大したのではなく、必ず有機物の堆積、土壌の安定のライン形成、そしてその高低差が新たに作りだす地下水圧によって、砂浜や陸地が形成されてきたと言えます。

砂浜の減少の定説として、森林の成長と砂防ダムや貯水ダム、河川の護岸工事や堰堤、川底の床固によって、河川から海への土砂供給量が減ったことが言われます。しかし、近年の海岸浸食の急増と砂浜の減少は、それほど単純なものではないことが、流域全体の環境を見てゆくことでわかるでしょう。

第2回では河川流域と砂浜の侵食の関係を説明したいと思います。