断層でつながる地球のいのち ~埼玉・吉見百穴と吉見町の松山城址を訪ねて~

ここは埼玉県比企郡吉見町の有名な史跡「吉見百穴(よしみひゃっけつ、よしみひゃくあなとも)」のすぐ脇にある、岩室山龍性院境外の観音堂、通称「岩室観音」です。荒川支流である市野川の河岸段丘崖の岩壁に張り付くように佇んでいます。

Photo/ 高田宏臣(以下すべて)

お堂をくぐると、そこは時が止まったような別世界への入り口のようで、車の行き来が激しい通りに面しているにもかかわらず、ひんやりした大地の息吹が感じられます。谷筋の両脇の切り立った岩は今もなおしっとりとした呼吸を保ち、深い大地を潜り抜けた澄んだ空気が流れ、まるでここだけタイムスリップしたようです。岩盤の露出した山地丘陵ゆえの豊かさ、環境のポテンシャルの高さというべきでしょう。

昔から、日常の営みの地である平野に張り出した岩体の丘陵は、磐座(いわくら)聖地として、大切に守り伝えられてきました。地上に露出した岩体は、周辺環境の豊かさを保つ要であることを古人(いにしえびと)たちは知っており、その土地で持続的に生きるために、その環境を守り続けてきたのです。

日本列島は大きな岩体であり、岩盤の亀裂である断層を通して、地下奥深くの水や空気の流れすら連動しています。そしてそれが涌き出している場を聖地として祀る行為は、それこそいつに始まったかわからないほどの昔から、連綿と守り伝えられています。そうした聖地は、後世には社寺仏閣鎮守の杜となり、今もかろうじて大地の営みへの畏敬の想いを伝えているかのようです。

いのちを支える環境の要の地を、古人たちが連綿と守り伝えてきた末に鎮守の杜があるのであって、それは、例えば仏教伝来などによって、ぽっと突然社殿が建ったり、御霊分けによって見知らぬ土地から神様が勧請されたりしたわけではないのです。

隣接する吉見百穴と同様に、岩体は多孔質で軟らかく、含水率の高い凝灰質砂岩で覆われています。栃木県で産出される大谷石も同様の岩質です。この岩は水や空気を蓄えたり通したりしやすく、樹木草木は根や菌糸を張りやすいがゆえに、こうした岩体を持つ山は豊かな生態系を育みやすいといえます。ここでは古くより凝灰質砂岩を穿ち、その岩室(いわむろ)に観音様を祀ったことから、いつしか岩室観音と呼ばれるようになったようです。

88体の石仏は、四国遍路八十八か所の弘法大師ゆかりの霊場の本尊を模したものといいます。実は、この観音堂が四国遍路八十八か所を偲ぶ霊場となった由来には、私たち現代人が忘れてしまった大きな意味があると感じます。

岩室に座して、先月、四国の愛媛県を訪ねたときの記憶が、再び蘇ります。世界第一級の大断層であり、日本の脊梁ともいえる中央構造線が横断する愛媛では、いたるところで、断層地域周辺の独特の精気というべきか、豊かな大地のポテンシャルをところどころで感じ、その力強い風土が発するものに打たれる、そんな感覚が印象深く残ります。

時折、旅先で私たちが感じる土地の記憶には、風土に刻み込まれたすべての営みが封じ込まれているように感じます。その記憶は、人の細胞の奥底にまで刻みこまれた地球上のいのちの営みの記憶に、深い部分で共鳴するようにも感じます。

先日、現場作業の帰りがけにここを訪れ、まるで古来の霊気が閉じ込められたような雰囲気に吸い込まれ、足を踏み入れた際、この場の雰囲気や空気感に通じるものがあったのか、3月に訪ねた愛媛の記憶が思い起こされました。
実際に、この吉見町の地下奥深くには中央構造線が走っており、それが四国石鎚山周辺の岩体と、深い部分で一体に繋がっているといえます。この露岩は地下と地上を結ぶ「通気孔」というか、タイムトンネルと言っては言い過ぎでしょうが、その場で感じるものの共通性には、断層を通した空間のつながりや活発な連動による部分が大きいと感じます。

赤線が中央構造線、青線に囲まれた茶色の部分がフォッサマグナ。

九州・四国から紀伊半島を経て本州へと続く、世界的にも第一級の大断層である中央構造線は、諏訪湖周辺でフォッサマグナ西端ラインである静岡・糸魚川構造線と交差します。フォッサマグナは世界最大級の大地溝帯で、西端ラインを挟んで東側の地層は最大で約6000mも潜り込むため、諏訪湖以東における中央構造線の正確なラインや、フォッサマグナ東端となる構造線のラインについては、今もなお明確な結論は示されていません。現代地質学のアプローチにおいては、断層露頭の発見によって証明される以外、周辺の岩質からの推測に頼ります。
こうした分析手法や実証的な手法が大切なことは言うまでもないですが、同時に、人間の生命に刻まれた「直観」というべき感覚は、自然が発する記憶を包含して、生命の総体としての環境をある意味で、時空をも超えて読み取ることができものだという事実もまた、忘れてはならないことでしょう。
土地の環境との対話の中で暮らしてきた先人の直観的な把握力はときに、現代科学の証明をはるかに超えるという、そんな事実を改めてここで強烈に感じさせられます。

深い断層が動的に生み出し続ける大地の空隙とそれを伝うものが、四国からここ吉見に続いていた。そして丘陵部の露岩を通して、かつての人はそのことを確かに知っていた。そんなことが岩室観音石仏の由来から感じられます。

上の図は、先の中央構造線の横断を示した図の吉見周辺部分です。ここではフォッサマグナ東端と中央構造線が交差して複雑な褶曲を受けたせいか、ちょうどここで構造線が折れ曲がります。

地球規模のダイナミックな水と空気の動きを見ると、深く活発な断層、そして隆起して露出した岩山の存在は、その周辺の環境の再生力の高さにそのまま直結します。構造線の大きなずれがこの吉見周辺で起こっていること、そしてその周辺に大規模な横穴風葬墓が集中することも考えると、この地は第一級の日本の環境の要かもしれない。 そんな大地のポテンシャルの高ささえ感じます。

古の人たちは、こうしたことを直感として当たり前に把握していたことは、東松山という地名からも感じられます。 中央構造線の要である石鎚山の麓、愛媛県松山市に対して、東の松山、という地名に、先人の透徹した智慧の深さに震えるほどの感動を覚えます。

岩室観音堂上部、松山城址。愛媛県松山市の松山城と同じ名前。

観音堂上部にある、新緑の雑木林の中の松山城址に一人佇み、うららかな春の日差しを浴びながら、過去と現在、そして先日訪ねた愛媛松山城と四国の風土で感じたものが思い起こされます。
先人が当たり前に持ち合わせていた生命の記憶、営みの記憶。現代の私たちこそ、それを思い起こすことの大切さを感じました。そして改めて、自分のすべきこと、人に伝えるべきことが明確になる、そんな想いと決意を新たにします。

国指定史跡、吉見百穴の横穴墓。

観音堂に隣接する丘陵斜面の吉見百穴もまた、凝灰質砂岩の岩体を穿った無数の横穴墓です。汗ばむほどの春の日差しの中にあってもなお、中に入ると息が白くなるほどの冷気が流れます。単なる土中温度の恒常性では説明できない、低温の冷気がここを流れます。
大地の深い神秘の空間を経て、複雑に時間を超えて流れる、岩体の中の清らかな空気。それゆえに、ここでは遺体は腐敗することなく、吉見一帯では日本中探しても他に類を見ないほどの高密度な葬送を受け入れ、大地の循環の中に還していた。そんな横穴群が、現代を生きる私たちに問いかけるものの意味はあまりに大きいと感じます。

松山城址周辺の岩肌には、特有の冷気が満ちる。

大地の空洞は私たちの想像を超え、地球規模の土地と土地のつながりを感じさせてくれます。この冷気の由来に想いをはせると、またまた時空の旅がはじまるようです。 同じ凝灰質砂岩の大谷石掘削後の地下道にも、同質の清らかな空気が流れますが、これもおそらく断層を通した何らかのつながりがあるのでしょう。

江ノ島の岩屋洞窟が富士河口湖の青木ヶ原樹海の鳴沢氷穴につながっているという有名な言い伝えがあります。何の根拠もない伝承に聞こえるかもしれませんが、決して意味のないことではなく、こうした言い伝えの多くは、古の人が体感と直感の中で流れる空気から感じ取ったものではないかということも、この地を訪ねて改めて感じます。

大地の力、私たちの命の営みを豊かに保つ母なる大地の営み、そしてこうした国土の要の地を守り伝えてきた先人の智慧と愛。現代を生きる多くの人に、これからも伝えていきたいという思いが高まります。