夏の暑さを和らげる樹木の力 〜第1回 砺波平野の屋敷林の事例より〜

夏の暑さを和らげる木々の働き

今は珍しくなってしまった町中の大木。かつて町角の大きな木々は、道案内の目印になり、歩く子どもも大人も、大きな木の下でほっとひと息をついて汗をぬぐったものでした。木の下では見知らぬ人とのあいさつや会話も始まり、それがまた人の心に優しさやぬくもりを灯していきます。

夏には大きな木陰を恵んでくれる木々に「お陰さま」と声をかけ、晩秋には舞い散る落ち葉に「ありがとう」と両手を合わせて掃き清める。その落ち葉を堆積させて土に返したり、落ち葉を焚いて焼き芋をくべると、近所の子どもたちが集まってきて、外遊びで冷え切った手を火にかざす。

大木を見ていると、子ども時代の温かな情景が思い出されます。

それはあたかも、大木の中に、町が心地よかった明るく懐かしい時代の記憶があって、それが私たちの記憶と共鳴するかのようにも感じます。

夏の暑さや冬の寒さ、そして強風を和らげ、適度な湿度調整もしながら、暮らしやすい環境全体をつくってくれる。黙ってそんな働きをしてくれるのが、健康な木々たちなのです。

夏の日中、樹高10メートルほどの健康な高木が、枝葉から蒸散させる水の量は実に190リットルにも達するといいます。その際に、たった一本の高木で実に10万キロカロリーを超える大きな気化熱が生じ、周囲の熱を奪うことで夏の空気を冷却します。

よく、木々の冷却効果はエアコンと比較されます。エアコンは電力を用いて室内を冷やすことと引き換えに、屋外環境に不快な排熱を放出してますます暮らしにくくしてしまいますが、木々は人工的な空調設備などとは全く異なり、屋外室内の分け隔てなく、生き物たちや地域全体にあまねく快適な環境をもたらしてくれます。

高田の自宅周辺の木々。撮影:高田宏臣(以下、特記以外すべて)

これは千葉市内の我が家の木々です。10年前に植樹した木々は今や樹高10メートルを超えて、夏の家屋周辺を木陰にします。エアコンはありません。力強い木々に囲まれた我が家では、日中は枝葉が直射日光を遮り、木陰で冷やされた地表にはそよ風が流れます。地表が熱を蓄えないため、夕暮れ時を過ぎるときちんと冷えて、夕涼みができる快適な時間となります。

つい数10年前までは当たり前だったこのような環境も、今はなかなか得られなくなりました。コンクリートばかりの町では、夜も温度が下がらず、流れる空気は熱気となって、一晩中街を温め続けてしまいます。また、中山間地などにおいても、通気しなくなった大地はもはや、朝になっても冷気が地上に湧き上がることもありません。

近年急速に、過酷で危険なまでの厳しい夏の暑さが日本中を席捲するようになったのは、決して温暖化ばかりが原因なのではなく、町の在り方、木々や緑の活かし方、向き合い方から見直す必要があるのでしょう。

温暖で過ごしやすい快適な微気候(地域単位の気候ではなく、もっと細かくて局所的な温度湿度の違いのこと)を保ってくれるのは、健康な木々や大地の働きです。

今回は、その自然の働きを上手に活かして快適な暮らしの環境を作ってきた先人の智慧を紹介し、同時に健康な土や木々による、気候緩和の仕組みとプロセスをお話ししていきます。また、木々を効果的に環境つくりに活かすための方法や、土壌環境についてもお伝えしたいと思います。

暮らしを守る屋敷林の効果 ~砺波平野の散居村より

富山県・砺波平野の風景。

富山県の西部に位置する沖積平野、砺波平野を見下ろします。ここは庄川と小矢部川が形成した扇状地であり、今も田んぼの中に屋敷林に囲まれた家屋が点在する、「散居村(さんきょそん)」が広がります。

散居村とは、田畑などの中に民家が散らばって点在する集落形態のことあって、散村(さんそん)とも呼ばれます。山麓の民家とは違って、広大で平坦な沖積地の真ん中に暮らすには、強風を緩和し、同時に水害からも土地の流亡を守ってくれる屋敷林の存在が本来不可欠であって、ここ砺波平野に限らず、こうした屋敷林に囲まれた民家の形態の名残は、今も全国の田園地域に見られます。

散居村の民家の敷地内部から屋敷林を眺める。

ここ砺波平野では、古くよりこの屋敷林のことを「カイニョ」と言って、「杜」として大切に保ってきました。冬は厳しい季節風から家屋を暖かく守り、夏は強い日差しを遮って涼しい環境を保ってくれる。吹きさらしの平野において、この屋敷林の存在は快適な暮らしのために不可欠であったのです。

「家(タカ)は売ってもカイニョは伐るな」

そんな格言がこの散居村に残り、今なお伝わっていることからも、住まいの森である屋敷林を守り繋いできた先人の努力や住まいの環境への想いの深さが感じられます。

ほっこらとした屋敷林に囲まれた民家はまるで、田んぼの中の小さな鎮守の杜のようです。後述しますが、実際に平野に点在する屋敷林は、平野全体の環境を安定させて水害を緩和し、よい地下水を誘導し、田畑の生産性をも高めてゆきます。そのような環境上の役割までになっているということを、残念ながら知る人はほとんどいないかもしれません。

本来、土中の水や空気が滞りやすく、土地が安定しにくい沖積地において、土地を安定させて健康な森を育てるためには、相応の環境改善造作が必ず行われてきました。ここでは石積みなどによる敷地のかさ上げと、周辺の溝堀によって、地形高低差をつけて土中の水と空気が動きやすい環境を作ってきたのです。それによって、高木が健康に生育して森となる土中の環境が育っていきます。つまり、田んぼという湿地における住まいの造成で、きちんと根が張って数百年の杜が育つ環境を意図的につくってきたと言えるのです。

散居村における民家敷地配置の模式図(砺波郷土資料館編『砺波平野の屋敷林』より転載。

この地域の一般的だった屋敷配置を見てみましょう。外周に素掘りの水路を掘り、その掘削した土を敷地に盛ってかさ上げし、外周を木々で囲んだことがわかります。さらに、盛土での暮らしの環境において、締固めによる表土の水はけの悪化を改善するため、屋敷林のキワの要所に大穴(池泉)を掘り、大きな自由水面を開口して地下水を集めていました。この池泉が井戸とともに敷地内の土中の水を動かすポンプのように働いて、土中の水と空気をより活発に動かし、土壌の生き物の環境も土壌の多孔質構造も、より豊かに育まれました。

豊かな屋敷林と、土地をいたわる造作によって、敷地内に円滑に浸み込んだ水は、土中をさらに涵養しながら、清冽で力ある水となって、外周水路の底から湧き出します。健康に水と空気が通過する土中環境は、屋敷林を健全に育むのみならず、夏の暑さや冬の寒さをも緩和して快適な環境を保つことができるのです。

富山県指定有形文化財、入道家の家屋と屋敷林。

写真は、富山県の有形文化財に指定されている入道家住宅(注・個人がお住まいになっているお宅です。見学には砺波市教育委員会の許可など手続きが必要です)で、屋敷林の一部は失われて森の様相は失われつつも、今なお、かつての優れた環境共生の敷地配置のあり様が感じられます。

「アズマダテ」と言われる、江戸期以降のこの地域独特の切り妻屋根の民家に、倉庫、家畜小屋、灰小屋を敷地内に配し、家屋の屋根よりも高い木々で四方を囲むのが、健康で暮らしやすい本来の在り方なのですが、近年、住宅様式や暮らしの変化に伴い、屋敷林を持たない住まいや、長年環境を守ってきた屋敷林が伐られるケースも目立つようになりました。

剪定された屋敷林の名残。

隙間だらけだったかつての家屋と違い、今は気密性の高い住宅が一般的となりました。空調による室内のみの快適性の実現が容易になった昨今、屋敷林が伐られる光景も目につくようになりました。

長年ここでの暮らしで不可欠なものとして育まれてきた屋敷林を伐ってしまうと、住まいの温熱環境はどのように変わってくるか。屋敷林の有無による、夏の熱環境の違いについて、次に見ていきましょう。

『環境管理 第68号』(一般社団法人 産業環境管理協会 )より。

上の図は、屋敷林の有無による平均放射温度(MRT)の比較です。MRTとは、その場所で、周囲の全方向から受ける熱放射を平均化した温度表示を表すもので、実際に人が感じる体感温度に近いものと考えられます。

屋敷林の有無によるMRTを比較すると、日中の敷地内において、平均しても10℃程度、場所によっては20℃程度もの差があることが示されています。この測定は、樹木の有無のみを比較したものであって、これがコンクリートやアスファルトばかりに覆われた都会の環境であれば、実際にはさらに大きな差異として表れていることでしょう。

事実、晴天の夏は連日のごとく、暑さが原因の救急搬送も多く報道され、いのちの危険を感じさせるほどの熱中症も社会問題のごとく警戒される時代となりました。炎天下、街を歩く人の顔が苦痛にゆがみ、室内のエアコンの世界に逃げ込むほかに行き場のない夏。局地的な高温の原因は、木々の成長を喜び、木々とともに生き、環境を愛でつつ、快適で美しく優しい環境をつくり上げてきた先人の営みや智慧を忘れ、砂漠のような街をつくってしまった、現代の私たちの姿勢にあるように思います。

次の図は、同じく屋敷林の有無による夏の日中の気温と風速を比較したものです。屋敷林がなければ風が建物にあたってさらに加速し、熱風を周囲にも及ぼします。一方で、屋敷林に囲まれた家屋では、敷地内の風は穏やかに収まり、涼しいそよ風となって敷地を循環する様子が分かります。

木々は強風を優しく緩和し、快適な温熱環境を生み出します。これは木々にしか決してできないことなのです。だからこそ、かつては通りの大木を大切にし、鎮守の杜を祀り、そして屋敷林だけでなく、学校、公園、広場など、あらゆる施設は十分な外周林を育み、美しく快適で優しい環境を作ろうとしてきました。それが今、おろそかにされてはいないでしょうか。

人工物では決してできない、微気候環境を整えてくれる働きを活かさねば、街はますます不快なものになるでしょう。

人工的な防風壁は、風を増幅させて荒々しく周辺におよぼすものです。また、日陰にしようと屋根をつければ、反射熱が周辺大気を温めてしまい、さらには急激な上昇気流がゲリラ豪雨の勢いを増幅することにつながります。人間都合の局所的な快適を人工的に得ようとする繰り返しが、環境全体の快適さを過酷なまでに壊してしまっていることに、そろそろ気づく必要があるでしょう。

実際、木々による風速緩和効果は、風上側でも樹高の約5倍の範囲におよび、風下側では実に、樹高の30倍にも及ぶのです。風を遮るのではなく、優しく緩和して心地よい風にしてしまう、これが、木々の存在のありがたさであり偉大なところなのです。

写真のような屋敷林の樹林などが点状に散らばることで、平野全体の強風を鎮めて緩和してくれる上に、夏の涼風を周辺に送り、広範囲の気候緩和に繋がります。

この地の人の営みが、平野全体の気候をも緩和し、生き物たちにとって快適で過ごしやすい環境へと変えてゆくことができるのです。その働きは木々以外にできないことである上に、一朝一夕にできることでもありません。代々にわたって未来を想い、子孫を想い、そして故郷を想う、現代に生きる私たち自身の心の在り方が問われます。

砺波平野散居村住民に対して行われたアンケート調査の結果、ここでの暮らしはよいと思う人は実に8割以上に及びました。自分の住む町をよく思う、それは現代を生きる心の大切なよりどころになり、同時に故郷の人や環境への愛を育みます。そしてそのことがどれほど、自分自身を幸せにしてくれるか、はかり知れません。

ふるさとを愛する心が、よい環境を未来に繋ぎます。愛される風土、快適で暮らしやすい環境、心穏やかでいられる優しい住まい、そこで成長する子どもたちが優しさを育み、大切なふるさとの思い出を心に育むことのできる環境を。そんなことを基準に町の在り方、住まいの環境を考える人を、ともに増やしたいと願います。