師走の朝。
気候が変わり、12月だというのに雨が多く、晴天が幾日も続かない。
「気候非常事態」と言われる現代にあってはなおのこと、
日の出の美しさ、朝日の温かさがありがたく、深く心身に染み渡る。
太陽の光は地球に大きなエネルギーを注ぎ続けている。
そのことで世界は廻り、あまねくいのちは循環し、
それぞれが等しく、生きるエネルギーを得る。
いま「自然エネルギー」や「フリーエネルギー」と呼ばれるものに、
人類の未来を見出そうとする人たちがたくさんいる。
確かにそれは、究極は良いことかもしれない。
でも、無償で降り注ぐ太陽のエネルギーを本当に適切に活かし、
人類が自然の祝福を受けて、未来永劫この地球で生きてゆくために、
私たちはもっと「進化」しなければならないと思う。
「進歩」ではなく、「進化」しないと。
自然界は本来、すべて「フリーエネルギー」で動いている。
フリーエネルギーとは、太陽、月、宇宙から降り注ぐ
素粒子、波動、重力、そして磁力や、
水と空気の相互作用の中で、無限に生じ続けるエネルギーのこと。
その力を、いのちが取り込み、代謝の連鎖によって、
エネルギーの受け渡しが果てしなく続く。
つまりはこの世界のすべての存在が、他の存在のエネルギー源となり、
世界のあらゆる現象や実在のすべてが、役目を持って活かされる。
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世界中のすべての存在に平等に無償のエネルギーが注がれ、世界を息づかせる。
それこそが素晴らしい世界の仕組みであり、自然の理というもの。
そこには、独占せず、分かち合い、リレーするという、「不動の自然の意志」が働いている。
そう言う他に、どのような表現ができようか。
人間が、小手先の技術で「フリーエネルギー」を取り出し、
文明や機械のエネルギー源として活かそうと思っても、
実はそうはいかない。
利己的な人間主体の発想で、思いのままに扱おうとしても、
それは永続しないと断言する。
なぜならそれは、共存と受け渡しの中で
個々のいのちが灯っては消えるという、
自然の摂理に反するから。
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フリーエネルギーは、まるで龍のような架空の存在にも思える。
しかし、それが確かに自然界を息づかせて世界を回している。
人間が奴隷のように電力や機械力を扱うのと同様に
この神聖なる力を人間だけのものとして従わせようとした瞬間、それはどこかへと消えてゆく。
それはあたかも、真理の日差しが翳るように。
いわゆる「自然エネルギー」も同じこと。
水や太陽の光といった自然の恵みは本来、
あまねくいのちに平等に降り注がれるもの。
人が足るを知り、独占しようとさえしなければ、
永遠に恩恵をもたらしてくれる。
それがいのちのエネルギーの本質なのだ。
にもかかわらず、大地を削り、ソーラーパネルで覆い、
そこに降り注ぐ太陽の恵みすべてを独占しようとすれば、
必ず大地を傷め、いのちやエネルギーの循環が途絶える。。
その痛みはより大きくなって人間にはね返り、じわじわ未来を削り取ってゆく。
自然界の摂理を尊重できなければ、「自然エネルギーの利用」も、
それは致命的な副作用のように、より解決困難な問題となって、
私たちに返ってくる。
ソーラーシェアリングだって同じこと。
一体何を誰と「シェア」するというのだろう。
太陽光発電による現金収入と、その土地での農業生産の両立?。
それは自然の中でいのちが共生し分かち合う、本来のシェアではなく、
人間の独占的な「分割配分」の発想でしかない。
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その発想も環境も、土中の微生物は決して喜ばず、
生物環境を痩せ細らせる原因となる。
さらには周辺にもその影響が及ぶことに早く気づいたほうがよい。
あらゆるいのちが喜ぶ環境を育んでゆくのが、
本当の意味での「シェア」である。
それこそがいのちの法則の中でエネルギーが生まれる源泉なのだ。
太陽の光と大地の恵みというふたつの目的を
人間だけが享受する土地利用の在り方など、
「シェア」の名に値しないだろう。
「CO2排出量削減のため」「持続可能な社会を目指す」、
心ある発心(ほっしん)からの発想であっても、
見えないものへの畏敬の念を持ち、
生きとし生けるすべてのいのちを尊重し、
「文明の節度」というものを常に顧みなければ、
不変の意味も価値もそこから瞬時に消えてしまう。
情報や時勢を分析しながら物事を判断する前に、
常に無限の智慧の源である自然の仕組みから大切なことを感じとってほしい。
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地球という大きな身体の一部として、
自然の摂理の中で回るべきエネルギーに対する利己的な発想を転換させ、
自然に沿った社会や生産の在り方を志向することが、
文明の進化、人間の進化、そして自然からの祝福につながるだろう。
こう言うと、「昔に戻れというのは非現実的」と思う人もいるだろう。
しかし現状の経済・社会活動の延長線上には、
明るい見通しがないことは、きっと誰もが気づいているのではないだろうか。
二元的な選択から離れて、絶対的な存在に寄り添って生きる、文明の在り方のための智慧を働かせていこう。
「何かを成そうとすれば無になれ、無私であれ」という。
そこにもまた、自然の本質がある。
無となって初めて、無限の智慧もエネルギーも、祝福もそこに降りてくる。
無はすべてを生み出す源、無=無限、
これこそが自然の摂理であって真理なのだ。
本当のことは、体感を通して自然が教えてくれる。
社会が自然から離れ、ここまで人間が自然を壊してしまった今だから、
伝えたい大切なこと。
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20代の終わりから、20年以上の年月をかけて育んできた僕の会社、
㈱高田造園設計事務所は、年内に「気候・環境非常事態」を宣言する。
未来への希望に満ちて造園事務所を開設した時の
希望とワクワク感を若い人たちにも感じてもらえる地球を取り戻したい。