現代土木の副作用3. 砂防ダム・土石流の仕組みと治山の在り方を考える

環境を傷めない土石流・土砂災害への対策方法

近年、毎年のように大規模な土石流による多大な人的被害が発生しております。
谷筋に沿って高速で土砂とともに巨石まで押し流してゆく土石流のエネルギーはとてつもなく危険で、ひとたび土石流が人間の生活圏に直撃すると、その被害も非常に甚大で深刻なものとなります。

神奈川県箱根町 砂防堰堤群  photo / 高田宏臣(以下同)

土石流に対する現代の予防的対策として、一般的には砂防ダム、そして上部山林域には治山ダムといった堰堤(えんてい)が作られます。

砂防ダムと治山ダムは、規模は異なりますが、構造も機能も同様で、山林の安定を目的とした治山ダムは林野庁管轄で設置され、防災を目的とした砂防ダムは国交省管轄で行われます。

いずれも、沢筋にコンクリート重量物で堰を築き、堰の上流側に堆積土砂がせき止められて溜まることで、緩やかな傾斜部分が作られます。そこで土石流の勢いが弱まり、堆積して下流域への流亡や破壊のエネルギーを減じるというのが、治山、砂防ダムの考え方の根本にあります。

こうした砂防目的の構造物は、谷筋を流下する土砂をせき止めるという点で効果があるのは言うまでもありません。

しかしながらこの構造物は土砂の流亡の発生そのものを防止または緩和するという視点はもともとないのです。

むしろ、山地の地下水脈と連動する谷筋に土砂を堆積して水脈をせき止めてしまうことで、土中水の停滞は広範囲におよび、それがやがては、大きな崩壊につながるリスクも内在するということも、知る必要があるでしょう。

今、こうした砂防・治山ダム(堰堤の高さ15m以上のものをダムという)は今、全国で数十万基と存在するとも言われます。 気候変動はますます深刻化し、山の環境も加速的に傷み続ける中、日本においても今後ますます土砂崩壊も水害も増すことでしょう。
そんな中、はたしてこれまで通りの災害対策を繰り返すだけでよいのでしょうか。今こそ、視点を広げて検証しなおしてみることも必要なのではないかと思います。

起こるべくして起こる土石流は、自然の摂理を私たちに教えてくれます。その発生プロセスを、実際の事例をもとに、流域の水脈環境から解説したいと思います。

切掛沢の土石流が教えてくれること

八ヶ岳南西麓で発生した土石流の爪痕。2018(平成30)年10月撮影。

ここは、八ヶ岳山麓のゴルフ場です。平成30年10月、長野県を縦断した台風に伴い、八ヶ岳南西麓の切掛沢で大規模な土石流がこのゴルフ場にも押し寄せました。
幸いにして人的被害はありませんでしたが、麓に運ばれてきた大量の岩は、一夜にしてゴルフ場の風景を一変させました。

土石流は谷筋上部で発生した急傾斜地の崩壊を引き金に、下流部まで断続的に、一本のラインで谷全体をえぐり、そして傾斜が緩やかになる山麓のゴルフ場には大量の岩を残していったのです。 それだけでなく、ここに地割れのような一筋の水路だけをきれいに残していきました。

写真に見える溝を横断する黒いパイプは、数十年前のゴルフ場造成の際に敷設された暗渠(あんきょ)管です。 地形を人工的に改変する際、土中の滞水を除くために一般的にこうした有孔管を地下に張り巡らせますが、自然の揺り戻しの力には、その効力ははるかに及びません。

よく、土石流は、「傾斜の急な上部の崩壊に始まって、谷筋を流れ落ちる土石が、さらに雪だるまのように下部の谷を削りとってゆく現象」というイメージがあります。実際、地上部だけの現象を見ると、それも間違いではないでしょう。

しかし、ゴルフ場に堆積した膨大な岩に対して、見事なまでに細い一本のラインに掘られた溝を見ると、これは単なる泥と土石の流れによる浸食ばかりでなく、同時進行しながらも、地下ではまた別の動きが起こっていることも推測できます。

それにしても、これだけの石を置いていったのですから、相当な土砂があふれて流れ去ったことでしょう。それなのに、この土石流が掘ったのは、細溝一本だけなのです。この広い範囲に巨石が流れつき、泥流が越流したというのに、一本の溝の他は、ほとんどえぐらないという奇妙さからも、土石流という現象の本質が垣間見えてきます。

同、八ヶ岳南西麓の土石流のライン

ゴルフ場から、土石流のラインをさかのぼります。一本の筋状に、谷底は深さ1~3m程度、えぐられるように深まっています。土石流は大量の巨石をいとも簡単に押し流すほどの膨大なエネルギーであるにもかかわらず、周辺山域を崩壊させず、きれいに一筋の谷筋たけを深めるようにえぐってゆくところに特徴があります。

谷筋が深まれば、それだけ、周辺から土中の水と空気が抜けてきやすくなります。それによって、流域の水と空気の停滞が解消に向かうことは確かなことです。 土中の通気浸透性が高まればそれだけ地形も安定していきます。

つまり、土石流の現象について見方を変えれば、流域の通気浸透機能の停滞が起こると、それを解消させて大地を安定させようとする自然の作用とも言えるでしょう。

古来の視点が教える土石流の本質

八ヶ岳切掛沢でおきた土石流ライン

赤いラインで示したのが切掛沢で起きた土石流ラインです。
台風に伴う豪雨の際、この土石流は、八ヶ岳連峰の主脈稜線直下の斜面崩落に端を発して生じました。
写真は土石流発生後ですが、こうして遠望すると、大規模な土石流であったにもかかわらず、周辺の様子はまるで何事もなかったかのようです。

地滑りや斜面崩落の場合は、その後もしばらくは降雨の度に崩壊が広がるケースが多いのですが、土石流の多くは、発生時に上部以外には側面の斜面崩壊をともなわず、神業のごとく谷筋だけを削ります。

集中豪雨に伴う発生の物理的なメカニズムは、実はまだ解明されていません。
それではどのように見ていけば、この現象が腑に落ちるように理解できるでしょうか。

土石流という言葉が一般的になったのは数十年前のことで、江戸時代以降1970年代前半くらいまでは、「山津波」という呼称が一般的でした。それより以前、中世の記述では、「蛇落(じゃらく)」「蛇崩れ(じゃくずれ)」という呼称が出てきます。

ここに、土石流の本質をとらえるヒントがあります。川や水はよく龍に例えられ、水の湧き出しに龍神を祀ったことにも、自然の仕組みに対するヒントがあります。
山津波という表現は、津波になぞらえた、「波によるエネルギーの伝達」を表します。つまりこの言葉は、「上から下への土石の流れ」というとらえ方ではなく、谷筋地下部における波状のエネルギーの伝達を想起させます。
そして、「蛇落」あるいは「蛇崩れ」という言葉もまた、川の総体的で深い解釈を感じます。

細長くつながる谷や川は、形状的にも蛇や龍に例えられてきました。つまりは、川を単なる水の流れる道とらえるのではなく、川一本が龍のごとく、一体として連動するものという見方です。

土石流の現象は地上部だけを見ると、上から泥水とともに土石が流れてくるように見えます。しかし、土石流流下開始後にその流れをしばらく定点観測してみると、まるでエスカレーターのように土石の均一スピードの流れがその中の一筋のラインだけに生じていることが見えてきます。
こうした土石流の映像は、様々ネットでも検索できますので、見ていただけると分かりやすいと思います。

では、実際に土石流の物理的メカニズムがいまだ解明されていない理由はどこにあるのでしょうか。

それは、メカニズム解明のために行われる実験が、研究施設に設けられた滑り台に土砂を流して行われるという、地下部の状況を無視した、自然界にありえない架空の環境での実験だからでしょう。その結果分析についても、モーメントの計算と計量にゆだねられます。これが実は現代科学、現代土木技術の限界なのでしょう。自然を総体として見ることなく、個別に因果関係を限定して実験を繰り返しても、決して自然界の本質は見えてこないことでしょう。

そこでできることは、砂防ダム建設といった力学的な方法で表面の土砂流下現象をせき止めるという発想になるほかないのが、従来の防災技術の行きつくところ、つまりはそこが限界なのでしょう。そこから生まれるのは不完全で副作用を伴う工法や構造物でしかありません。

その副作用として、それは自然界の中では短期的に土砂の流れを食い止めてその動きを抑えることができても、長期的には自然環境の健全な機能を妨げ、災害の広域化を招きかねない点が真っ先に考えられるでしょう。 こうした限界を超えてゆくためには視点を広げる必要があります。その際、自然に対する経験的な智慧の積み重ねと総体的な視点という点で、私たちは先人の視点から学びなおす必要があります。

土石流の現象について、先人たちがこれを、蛇や龍のような一本の生き物や、波状のエネルギーに捉えたその視点に立ち返って、見えない地下部分で、どのような作用が働いているか、これまで科学的に説明できなかった部分について、事実をもとに推測していきます。

踏査による概略の推定図 赤線が土石流ライン  (カシミール3Dより)

ここでの土石流の通過したラインを図解しました。 山頂部で始まった土石流は5つの治山ダムを乗り超えてゴルフ場に至り、ここに大量の岩を置いていきました。その後、横断道路の下部で、いったん収まったかのように、土石流は消えて(赤い点線部分)水だけが越流していきます。
しかし、その下流域でまた、土石流が発生しています。その流下ラインは川筋を変えながらも、最終的には一本の地下部の明確なラインの存在が想起させられます。 ゴルフ場で見られたように、一本の筋だけが掘られ、他が掘られていないことからも、見えない土中で何かが起こっているということは、容易に想像されるでしょう。

ところがこれを、上流部と下流部との2か所で別々の土石流が発生したという見解が、一般的に聞かれます。確かに地上部だけを見ると、そう見えなくもなく、発端となる崩壊は2か所で起こり、転がってきた土砂の発生源もそれぞれ別のものと考えることは、ごく自然なことでしょう。

このような土石流を「蛇落」や「山津波」と呼称した古来の人たちは、この現象を別々のもの捉えず、上流から下流までつながる一本の蛇(龍)がするりと滑りぬけてきたと捉えたようです。
水と土砂の停滞に伴い、それが上流から下流まで一本でつながったとき、膨大な重量とエネルギーを有する水柱となって川底に生じます。それが見えない地下でゆっくりと滑り落ちて抜けてくる、そんな風に捉えたと考えます。
このことは、龍の尾っぽを掴んで下に引っ張ったとき、どのように滑るかをイメージすると分かりやすいです。
普段はおとなしくも、ひとたび首をもたげると巨大なエネルギーでのたうつ大蛇や龍のような変幻自在の存在のように感じられたことでしょう。

地上部で起こる土石の流れの下に、龍のように一つにつながったラインがエスカレーターのように滑る動きが地下で生じていると考えると、様々な現象がすんなりと説明できてくるのです。

マグマのように地下に生じたエスカレーターのような泥状の流動体は、川底の摩擦や反動で、龍の体がのたうつように波打ちます。それが直下型地震のような振動となり、その波が伝播して谷筋に高速で伝わることでしょう。その振動が、滞水した川底で一筋だけの液状化ラインを作ります。そのラインに沿って、地上部の土石の流れが誘導されると考えると、この現象が矛盾なく見えてきます。

ゴルフ場、土石流通過後のアスファルト道路 (富士見町在住 黒岩牧子撮影)

これは先のゴルフ場において土石流が通過したラインです。アスファルト道路は、地面の下から突き上げられ、波打つように持ち上げられています。これは決して、地上部の土石流や越流だけでは説明できない現象です。しかしこれを、地下に波状の振動が走り、波打つようにそのラインを持ち上げていった推測できます。
そして、緩やかな傾斜地で一旦おさまったかに見える土石流ですが、その下流域でまた、龍が首をもたげるように土石流が始まることも、地下部での液状流動が、まるで断層のように、一本で連動して動くと考えれば、こうした現象も理解できることでしょう。

断層の振動(地震)も津波も、そのエネルギーは波として伝播します。土石流の原理もまた同様に、そのエネルギーは一本の巨大な水柱の滑りによる波の伝播と考えるのはごく自然なことなのです。
長く伝えられてきた古来の自然認識は一見非科学的なようで、実はその奥に、本質を的確にとらえた体系的かつ現実的な認識がそこに必ずあると言えます 。

私たちは今、自然への向き合い方対処の仕方を一つ一つ見直す時期に来ているように思います。

治山対策と流域環境

土石流発生2週間後の治山ダム(奥)と谷筋

1960年代のリゾート開発に伴い、土石流予防のためにこの切掛沢に5つの治山ダムが設置されました。 そして、2018年の土石流は、この治山ダム群を容易に乗り越えて下流域に大量の土石を運んできました。
なお、切掛沢の土石流は、この治山ダム設置後の1980年代にも発生しています。それ以前にも土石流発生の記録があり、ここは地形地質的にも土石流が起こりやすい谷筋であることは確かです。

こうした谷筋に手を加える際は、土中の水の流れを滞らせないための配慮が大切です。それを誤ると、自然災害などの手痛いしっぺ返しが待っています。現代のように大きな機械力のなかった時代、こうした自然の作用に対して、土圧や水圧を力任せに抑え込むのではなく、自然自らが安定してゆくような配慮や工夫がなされてきました。

高度経済成長期に入り、山麓の開発に伴い、河川や谷筋においても大規模な河川工事やこうしたダム、砂防ダムが次々と作られてきたのは、時代の流れというものでしょう。 人間による技術の発展と経済成長がすべてを克服して、明るい未来を築くと信じて疑わなかった当時、自然界の現象に対しても人間の意のままにコントロールできると考えたのはごく当然のことだったと思います。

実際に、こうした自然環境に対する文明社会の慢心が生態系の劣化などの環境問題や災害の広域化など、様々な問題を引き起こすことが目に見えてきた今だからこそ、これまでの対策が長い目で見ても本当に良かったのかどうか、視点を変えて見直していくことが急務です。

砂防ダム、治山ダムが引き起こす谷筋・沢筋の通気浸透性悪化のメカニズム 
🄫高田造園設計事務所

谷筋の土砂堆積や治山ダム等の重量物設置は、流域全体の通気浸透水脈の停滞を招きます。 環境の荒廃は、山林の貯水機能、通気浸透機能の劣化に伴い、湧水の減少や停止、汚染という形で現れます。
切掛沢も、かつての切掛沢には清冽な水が流れていて、水の名所と言われる箇所がいくつもありました。それが、治山工事の後、数年後には普段は水が消えて枯沢へと変貌しました。一方で、豪雨の際は濁流が激しく流れる、そんな不安定な谷となったようです。

砂防ダムや河川護岸工事などが行われると、水量が減少したり、下流域での井戸が枯れたりすることは、治山専門家や地元住民などの関係者の間では今は周知の事実です。その理由は、通気浸透水脈の停滞による、流域全体の貯水機能、水量調整機能の著しい劣化に起因します。ここも同様で、こうした変化の末に、豪雨の際の川はかつてよりもますます増水しやすく、危険なものとなっていくのです。

治山ダムの下は、より深く川岸がえぐられます。ダムを超えてくる土石の落下の力がこうして、川の呼吸不全の個所をえぐってゆくようにも見えます。 ダムのすぐ下には掘削防止のための床固(とこがため)が行われますが、そのすぐ下が特に顕著にえぐられます。
こうした谷は自らの力で停滞した川底をえぐり、再び健全な通気浸透環境を取り戻そうとしていこうとするのでしょう。
そうでなければ自然は安定しないからです。安定状態に達するまで、自然は淡々と土砂を押し流し、川をえぐり、地形を変えようとします。

切掛沢上流域の山中

河川の機能低下による土中環境への影響は、流域の山林を歩いて観察すれば、一目瞭然に分かります。何らかの原因で谷の呼吸が停滞すると、数年から十数年程度のタイムラグを経て、森林が衰退していきます。
森林の不健全化の症状は、高木の幹折れや根返り倒木が目立ちます。これを単に台風のせいと考える人も多いのですが、こうした山林では林内の中木低木まで痛み、枝折れし、そして林床のコケや腐植も消失して浸透不全をきたしていることが分かります。

切掛沢谷際の斜面上部の表土流亡

砂防ダム(治山ダム)上流域の奥山でよくみられるのがこうした、林床植生の消失、単純化、そして表土の流亡です。
こうなると当然、雨水は山にしみ込まず、豪雨の際には表層を流れる水が土砂を谷筋に流し込みます。そしてますます谷は詰まっていき、それが更なる土石流のエネルギーをため込むことになるのです。

河川が上流から下流まで一体であるのと同様に、山と谷は一体であり、それを繋げているのが見えない地下の水の動きと言えるでしょう。 それが停滞をきたすとき、木々の健康も大地の様々な環境保全機能も失われてゆくのです。

河川の健全な呼吸が再生されるためには、堆積した土砂を押し流して川底がより深くえぐられる必要があります。川底が深まれば、その落差で周辺山林の土中において川底への水と空気の押出しもより活発になるからです。
そのため、河川はこの急傾斜と泥水の力を活かして川を深めようと働きます。それが土石流という現象に現れます。

しかし、これほどの大規模な土石流であっても、谷の伏流水停滞の最大の原因である、治山ダムまでは押し流すことは、ここではできません。

ところが、土石流は今回、この治山ダムの底をえぐっていったのです。
自然は常に、安定状態へと向かおうとします。なぜなら、不安定な状態は自然界で持続しないからです。
ここで地形の安定を阻んでいる最も大きな要因が治山ダム等の人工構造物であり、今回の土石流はその弊害を取り除こうとした自然の作用と言ってもよいでしょう。

ここでの土石流によって、治山ダムが破壊されることなくとも、川の呼吸は再生されて、周辺の山林も山の貯水性も、ここから大きく改善に向かうことでしょう。 その後、この沢においては徐々に豪雨時の土砂流出量も緩和され、それは結果的に長期的な災害の軽減につながります。

土石流に対処する古くて新しい工法の提案

河川の通気浸透性を保全、再生するかつての土石流対策の例。高田造園設計事務所

土石流発生の後、どのような対処がよいのでしょうか。現代の治山工事に変わる対策の一つとして、かつての川の造作を参考に、土中環境の回復を妨げない方法をあげてみましょう。

まずは川筋に沿った地形の変わり目の緩やかな部分で数か所、沢の堆積を掘削してプールを掘ります。そこを土石の下流域への流亡を受け止め緩和する場所とします。それだけでなくこの深みはさらに土中の空気と水の湧き出し口となり、流域からの土中の水も動きが活発になります。それが土中構造の安定、通気浸透水脈の再生につながり、平時の水量を回復し、そして同時に豪雨時の増水は軽減されてくることでしょう。

こうして、通気浸透水脈を遮断せずに、更なる豪雨による土石流の緩和措置を取りながら、山林の回復具合を経過観察します。土石流によって河川の呼吸環境は確実に回復しますが、他に何か健全な水脈再生を妨げる要素があれば、回復は遅れます。その場合は、原因を探して対処する必要もあります。通気浸透性の回復は、林床植生や表土の状態、樹木の枝葉や幹の状態観察によってすぐに分かることです。 流域の浸透貯水性の回復が進めば、谷は恒常性と安定を徐々に取り戻し、大雨でも増水しにくく、泥水の流亡も軽減されてくるでしょう。

また、掘削した土砂溜めの上流下流の比較的河川傾斜の緩やかな個所に、川底の岩盤に穴をあけて丸太を立てるといった造作が、昭和初期くらいまで普通におこなわれてきました。出水の際、この丸太に流木枝葉が絡んで、それがまた土石流を緩和するクッションになります。また、その後は絡んだ枝葉が川魚の住処となり、豊かな漁場をも同時に作っていったのですから、矛盾のない造作を何気なく行ってきた先人の智慧には脱帽するほかありません。

ところが、こうした自然の安定作用を視野に入れない、現代の対策では、これを損傷とみなして、さらに大きな河川工事を施して抑え込もうと対策されるのが、現状です。これがまた、山林の貯水機能に影響し、流域全体の森としての安定も豊かさも奪ってゆくこと、それが将来の禍根にもなりかねない点をしっかりと考えないといけません。

流域環境の健全化なくして本当の意味での安全はありえません。もちろん、土石流は造山運動や地震等による水脈の変化など、自然現象の中でも起こることであり、すべてが人工物のせいではありません。しかし、今のこうした現代の人為的な構築物が、流域の通気浸透環境の健康を悪化させている原因となるのもまた事実です。
その流域の健康を治山や防災目的とした河川構造物によって損なわれるのであれば、それは長期的な視点から見直す必要があるでしょう。

気候はますます荒れて、そして豪雨台風もますます大きくなることが予想される時代です。そこでこれから何が起きるか、だれにも分かりませんが、思っても見なかった災害が今後も頻発することでしょう。

そんな時代において、これまでの防災対策のように、表面的な対処ではなく、長期的な視点で国土の安全を対策していかねばなりません、今こそ自然の摂理を学び、それを軸とした技術体系を見直す時ではないかと思います。

なお、このブログ内容は、建築資料研究社発刊季刊誌 「庭」239号(2020年4月発売予定)にて掲載予定です。そちらも合わせてご覧ください。