ここ数年、全国の土葬地風葬地を廻ってきました。
土の世界、そこで生と死は循環し、死して土に還ることで、そこから新たないのちへと移ってゆく、死と再生は本来一体のもので、そのことに気づけば、世界の見え方ががらりと変わることでしょう。
いのちは全てが繋がって、絶え間なく循環し、その中に私たちが生きている、そんな当たり前のことすら、現代の生活の中では実感を持つことなく暮らしているのが現代人の多くの現実なのでしょう。
自然の一員としての人の在り方、その思考も行動も、自然の摂理に従うということは、この地球で生きていくうえで、常にベースになければならないことのはずです。
ところが現代社会はそこに思い至ることもなく、むしろそこから目を背けようとしているかのようです。
生きとし生けるものはすべて、自己の意識に関係なく生を授かり、そして自己の意志に関係なく、死をも約束されています。
生きるということは他のいのちを摂取していのちを繋ぐということであり、自分の生命活動の代謝の連鎖の中で他のいのちを養い続ける、その一環であります。
そして死しては大地に還り、他のいのちへと移ってゆくという循環が果てしなく続く、そんな絶え間ない営み中でいっときの間、人としてのいのちを享受し、過ぎては戻らぬ一期一会の時間を過ごしているのが今、この瞬間の私たちなのでしょう。
そんな自然の摂理もまた、土葬や風葬を通して、人もまた他のいのちと同様に大地に還るさまを目の当たりにしてきたつい数十年前までは、ごく当たり前に体感できていたことなのでしょう。
死が生の源となってこの世界が営まれるということ、私にとってそのことは、長年森に向き合い木々に向き合う中で、自ずと体得してきた感覚ではあるのですが、最近になってかつての葬送に深く意識を向けるようになってからは、今の社会の問題の根本は、この自然の摂理に根差した死生観から人がかけ離れてしまったことにあると、強く感じるようになりました。
昨年訪ねた奈良県山添村の集落土葬墓地です。集落の水源となる環境上の要の地、集落に張り出した小高い尾根上に、この土葬墓があります。ここでは今でも土葬が当たり前に行われていて、古くからの風習が息づいています。
ここにたどり着くまで、集落から急峻な山道をかなり登らねばならない、こうした地に遺体を運んで埋めてきたことにもまた、環境上の理由があることに気づく必要があるでしょう。
普段はここまでお参りに登ることは難しいため、埋め墓とは別に麓に石碑を建立し、日頃はそこでお参りします。埋める墓(埋め墓)とお参りする墓(参り墓)とが異なるという、古来日本各地で見られた習俗のことを両墓制といいます。
なぜ、わざわざ山の上まで遺体を運んだのか、それは、埋葬することで集落の要となる環境を育てることへの体感的な認識からの行為だったように思います。
かつての土葬墓も風葬墓も、往時は常に生い茂る木々に囲まれて、良好な土中環境が守られてきました。そして多くは、その下に集落の水源があります。その源となる山なのですから、古来侵すべからざる地として守り伝えられてきたことが想像されます。
土葬風葬地は日ごろはひっそりと保たれて、そこに分け入るときは自ずと心身を引き締め、身を祓い清めて入る、そんな名残は今も残ります。
これもまた、埋め墓に至る境界の名残で、「神の山境界」と記されます。
死んで到達するあの世のことを常世(とこせ)といい、実はそれこそが変わることのない真実の世界、という考えは日本古来の思想でした。
それに対し、われわれが生きている世界は現世(うつしょ)といい、読みのとおり、幻のごとく移り変わってとどまらぬ世界を表します。
死すことをおしまいと考えて思考から遠ざけようとする現代社会においては、現世(うつしょ)こそがすべてであるように錯覚してしまいがちかもしれません。しかし実際には、本来それは果てしなく続くいのちの循環の中のほんの一時、瞬間であるということを、古来の思想が伝えています。
土葬墓における埋め墓の目印には、木製の墓標が添えられるケースがよく見られます。木製ですので、いずれ風化して土に還ります。その時にはまた、遺体も土に還り、そしてまた、そこに新たな遺体が埋められる、そしてそれがすべて、新たないのちの形に生まれ変わり、再び故郷の一員となる、そんな営みが連綿と続いてきたのです。
一つの集落墓地の数百年あるいは千年以上の営みの中で、どれほどの人数がこの地の土に還っていったことでしょう。
適切な作法で遺体を埋めることで、遺体はスムーズに他のいのちへと移行します。そしてそのこと自体が、環境の豊かさを育むことにもつながるのです。
それが「手厚く葬る、」いうことであり、「往生する」ということの本当の意味なのでしょう。
こうしたことを通して、自然界の一員としての人の在り方を自然と認識し、それがまた、他のいのちを粗末にしない、温かで人間らしい感覚を育んできたことでしょう。
ところが今、故郷は足早に変わり果て、多くの人は故郷を離れて新たな墓地を探します。
遺体は火葬場で高温のガスで焼かれ、数十分で灰と燃え残りの骨となり、そしてその骨はそのまま骨壺に収められ、埋葬許可証とともに家族に渡される。まるでオートメーションのようです。
骨壺を納めるために、コンクリートの骨室と墓石のための土地を、当たり前のように探されるのが現代でしょう。
死してもなお、大地に還ることを拒み、土地の所有が必要とでもいうかのようです。
先日の移動中、広大な山林をまっ平に造成して作られた公営霊園を通りました。
そこはまるで、地域環境を根本的に破壊してしまうメガソーラー発電所のように、本来地域の豊かな営みの源である山林も表土もすべて、広域に切りはがされ、コンクリートの塊が所狭しと並べられ続けているのです。 こんなことが今後、幾世代にも繰り返されたら、国土はどういうことになるでしょうか。
この国が、遺体を土地に還し土地を育てることをやめて、こうしたお墓ばかりを増やしてしまったのはほんの数十年のことです。これもまた、いのちの循環を忘れてしまった現代人の過ちに他なりません。
過ちはいつの時代においても社会も国も、また個人も集団も、誰もが知らず知らずに犯しますが、気づいたときには軌道修正しなければなりません。
現代社会が直面している環境の危機は、自然とかけ離れてしまった現代都会人の頭の中だけで解決できるものではありません。
今、大切なことは、当たり前の自然の理を体感し、自然環境を育てながらその許容範囲をわきまえて生きてゆく、それ以外のどこに、本当の意味での「持続可能」な文明社会があるというのでしょうか。
健康な森の中で、倒木にキノコが生えて菌糸が張り巡り、菌糸を介して土中を伝い、そのいのちはまた、杜のいのちの営みへと還っていきます。
そして、子実体もまた、土中に還ってゆく際は、たくさんの菌糸に包まれながら、杜を養い、そこに命を繋いでゆく、そこには生も死もなく、すべては循環の中の一員であることに気づきます。
今、伝統的に続く土葬地以外においては、昔のように土に還ってゆくことすら、なかなかできない時代となりました。
大地に還りたい、そう望む人は、死期を悟って森に分け入り、樹海の中のくぼみや洞穴を見つけてそこで果てるほかに術がないのが、今の現実です。そしてそれは自殺者としてカウントされますが、実際には、大地に還るために死期を悟って自ら、大地に還りやすい健康な森に死に場所を定めてそこに赴くという、人間として、生き物としての健全な発心からの行動であることも多いことでしょう。
私もまた、死に際して土葬や風葬が叶わないとしたら、きっとどこかの杜の中での野垂れ死にを選択することでしょう。
当たり前のように、土に還り、いのちの循環の中に戻れる社会を、そのために、この度地球守では、土葬風葬研究会を立ち上げました。
今の葬送の在り方を考え直さないといけない、そして多くの人の共感の輪の中で、あるべき姿へと向かっていきたい、そんな思いを共有し、このテーマから、社会通念を自然の理へと近づけるきっかけなればと思います。
往生できる社会、死を見据えて生きるということ、その先に温かく、いのちを粗末にしない社会へと歩んでいければと願いを込めます。
地球守土葬風葬研究会、今後どうぞよろしくお願いいたします。