宮城県石巻市北上町 第1回 十三浜の杜づくりプロジェクト 活動報告

2021年9月24日(金)〜27日(月) 北上町十三浜のひとつ、長塩谷地区にてスタート

地球守では宮城県石巻市北上町の十三浜地区の長塩谷(ながしおや)にて、一般社団法人ウィーアーワン北上さまが立ち上げた「平地の杜プロジェクト」の指導・施工のために、北上町に4日間出張してまいりました。
主催はウィーアーワン北上様、施工・指導は高田宏臣と高田造園設計事務所のスタッフのみなさん総勢9名。ボランティア、ワークショップ参加者、長塩谷・白浜地区のみなさんなど、4日間の杜づくりにはのべ200人近くの方々が参加してくださいました。
8月27日に行いましたウェビナーを視聴くださったり、ウィーアーワン北上さまと地球守の案内を通じて、ボランティアの方々が遠くは九州、中国地方、関西、関東、そして東北も地元宮城県内だけでなく、福島・岩手・秋田からも大勢お集まりくださいました。改めて御礼申し上げます。
杜づくりに欠かせない枝そだ、竹、焼き杭を集めてくださった地元のみなさま、稲藁をゆずってくださったみなさま、ありがとうございます。

そして、今回のプロジェクトの一部は、地球守活動基金の支援をいただきながら進めました。
この活動に共感をお寄せくださり、応援いただいていますみなさまに心より御礼申し上げます。

十三浜地区長塩谷の春日神社。写真/©️NPO法人地球守


東日本大震災10年目前日の2021年3月10日、代表理事の高田宏臣は、ウィーアーワン北上代表の佐藤尚美さん、メンバーの杉原敬さん、高橋香さん、江刺拓司さん、成田昌子さん、そしてプロジェクトリーダーの大渕香菜子さんらとともに、現地調査を行うために北上町を訪ねました。津波による被害が甚大だった沿岸部は、危険地域として居住することはできなくなったため、住民の方は高台に造成された住宅地や街中に移転されています。震災直前に石巻市に合併された北上町でも同様です。長塩谷もかつて59世帯230人がお住まいでしたが、現在は山側に8世帯となりました。
尚美さんたちに案内いただいた長塩谷地区は、造成された平坦な土地が段状に続き、水路や生活道はそのまま残るものの、一面に草地が広がる造成地という印象でした。
長塩谷は、追波湾に向かって北上川が一気に海に広がる河口部に位置します。波が打ち寄せる河岸は、現在防潮堤が建設されていますが、かつては砂浜と松林が美しい浜辺だったと佐藤尚美さんは教えてくれました。南の対岸には牡蠣の養殖で有名な長面浦、そして震災時に多くの子どもたちが犠牲になった大川小学校跡があります。

一般社団法人ウィーアーワン北上の主要メンバー。右から、プロジェクトリーダーで林業や植生のリサーチに従事する大渕香菜子さん、代表の佐藤尚美さん、非常勤理事の佐藤梨恵さん、スタッフの高橋香さん、新人スタッフの新真実さん。
理事の杉原マイケル敬さん(右)と高田。


十三浜地区という名前のとおり、北上川北岸河口付近から東の太平洋に向かって、追波(おっぱ)、吉浜(よしはま)、月浜(つきはま)、立神(たてがみ)、長塩谷(ながしおや)、白浜(しらはま)、小室(こむろ)、大室(おおむろ)、小泊(こどまり)、相川(あいかわ)、小指(こざし)、大指(おおざし)、そして小滝という浜が続きます。津々浦々ということばがありますが、住む人々、暮らしや行事にもそれぞれの浜の個性があるそうです。4日間訪れる方々が「〇〇さんは白浜の人」「△△さんは長塩谷の人」と話すことばの端々からも、みなさんふるさとを大切に思っていることが感じられます。

初日施工前。彼岸間もない頃、背丈に近い草が一面生い茂っていました。

かつての民家の地形の名残を生かし、苗木が育つ土中環境を整える

「住民による住民のための復興とまちづくりを行う」これがウィーアーワン北上の活動の柱です。危険区域に指定され、もとのふるさとに住宅を再建することが不可能となった住民の方々が、高台に移転するか、町の中心部に移転するか、その相談に乗ったり、手続きの手伝いをするなど、顔の見える活動を継続してきました。
実際に、活動を進めるにあたって、この地区に住んでいた方々全員にアンケートをとったところ、回答率が93%だったことからも、尚美さんたちの活動がいかに地域に根ざしているかがわかります。

震災後10年が経とうとしていた時、仕事で白浜ビーチパークに向かうために北上川沿いを車を走らせながら、尚美さんはふと「次の世代にこの浜をつなぐという目標を掲げているものの、本当にこの土地が未来に受け渡す美しい場所だろうか?」と疑問に思ったそうです。地方活性、地方創生、復興などさまざまな社会課題の解決を模索するのも大切だけれども、「なんとなく(ここで過ごしていると)気持ち良いよね」と感じる土地や自然を取り戻すことの方が大切なのではないか。そうすることで人々が過ごしたい、暮らしたいと思うふるさとがよみがえり、自然と人は集まり、住む人も増えていくのではないか。

そう思い立った尚美さんは、長塩谷で森づくりをするために、地球守に声をかけてくださったのです。

地面が硬く、基礎が残っていたりして、貫通マイナスドライバーが10センチ以上入りません。
苗木から植えられたケヤキが弱っている理由と、土中環境の関係を解説する高田。
水が滞り、地盤が硬化して根を深くまで張ることができないため、水を十分に吸い上げられず、幹が乾燥してキクイムシが入ってしまいます。

「苗木や木が育てばよいというものではなく、土地とともに木が育っていく。そういう環境をつくっていきます。それがこの土地の豊かさを回復していくのです。未来に向けて土地も森も育つ、モデルとなる場所をつくっていきましょう」。
高田はまず、山の際から、山に染み込んだ水が土中をうるおし、空気の流れが回復する、土中環境の改善を行いつつ、地面深くまで根を張って、水と空気を地表と地中との間で動かす力の強い、コナラ・ミズナラ・シイなどの高木樹種を中心に密植・混植させることにしました。造成した土地は締め固められていて、従来の植樹のように、苗木1本1本を点々と地面にそのまま植えても、根を深くまで張ることができず、弱っていくだけです。「樹木自体が土地を育てられる状態でなければ、樹木を植えても傷めてしまいます。まずは土地の環境そのものをよくして、苗木を植えるのはそれから。植え方も大切です」。

幸いなことに、かつて住宅や畑、田んぼがあった段状の土地は、地形の際に溝のあとがあったり、石垣が崩れたあとがあったりと、水と空気の流れを考えた造作の名残がありました。山際に染み込んだ水は、地下水をぐーっと押し出し、土の中の水と空気の流れを促してくれます。
まず高台の土地の名残を生かし、土地の起伏を読みながら大穴や溝を掘り、焼き杭を何本も打ちました。枝そだやしの竹でしがらを編み、掘った土と藁をその中に重ねて敷き葉でマウンドをつくり、土地に起伏をつけていきました。水が集まる隅には石垣を組み直していき、ゆるやかな傾斜の表土を雨水が走り、泥を集めて流す状態になったところには、段を切ったり階段をつくったりして、水を土中に浸透させるようにしました。

住宅が立っていた敷地の際にはうっすらと溝(堀)の後が残ります。
地形の際の擁壁沿いの溝をしっかりと掘るスタッフと参加者のみなさま。
穴や溝を掘ったところには土中の水が集まってきます。その水をさらに土中奥深くまで導き、菌糸が涵養させるよう、焼き杭をしっかりと打ち込みます。さらに竹炭、もみ殻くん炭、藁を敷いていきました。
溝や大穴を掘った土はそのままにせず、藁や炭と交互に重ねる敷き葉にして、マウンドをつくりました。苗木を植えるマウンドの場所は、高木が根を深くまでおろして、水と空気を土中深くまで導き、地形を守ることが必要な場所を選びます。
翌日、溝から澄んだ水が湧いてきました。
2日目もひたすら溝を掘り、穴を掘り、マウンドの枝がら、敷き葉づくりを行いました。福島・郡山から参加してくださった、ガーデンデザイン森の風のみなさま。
擁壁上のヤブ化、竹が増えすぎているところを整えました。
苗木は自然の理にしたがって、適切に植えていれば、鹿はなかなかかじらないものですが、念の為、鹿柵を竹で組みました。
地形の際の隅を掘ると、昨日までの雨もあって、滞っていた水がどんどんと湧き出してきます。
地形の際の要所に、かつて石垣を組んでいた名残があった。崩れて土の中にもぐってしまった石を集めて、再び水と空気が動く場所をつくります。
マウンドに植樹した苗木と石組。
かつて住われていた方が組んだ石垣(奥)と、溝を掘り、直した石組(手前)。
刈り草も利用しながらマウンドをたくさんつくりました。長塩谷の次の風景が次第にできあがっていきます。
里山ののどかさが戻ってくるよう。
2日目には、齋藤正美石巻市長も現場視察に来てくれました。



つくったマウンドはおよそ50近くになるでしょうか。
26日に開催したワークショップでは、参加者の方々と改善を行いながら、数百の苗木をマウンドに密植・混植させました。

武山昭利さん。別家のおじいさんが石彫した道祖神と古い氏神さまが祀られている場所が、背丈ほどの草が生い茂っていたのを気に病んでいましたが、改善後の様子を見て安堵の表情。氏神様には八幡神社、白蛇権現の刻印が。

魂の奥底にある「ふるさと」への思いが蘇る場所

土中環境の改善と森づくりの4日間、長塩谷にかつてお住まいだった方々が、毎日足を運んでくださいました。
そのお一人がこの10月で91歳になる武山昭利さん。りんごの木を育て、今年は収穫ができるだろうというところで震災に遭いました。高台に住まいを移転してからも、かつてりんご畑だったところにケヤキの苗木を植え、夏場はこまめに草刈り機を担いで徒歩で通っていたそうです。
昭利さんがケヤキを植えた土地の際には溝の名残がありました。
「ここらでは溝を「堀」といったんだ」と昭利さん。冷たい水が湧き、野菜を洗ったり、セリやみょうがを採ったりしていたそうです。高田造園設計事務所スタッフが4−5尺の焼き杭を次々と掛矢で打っているのを見て、懐かしそうにしていたのが印象に残ります。

働き者の昭利さん(左)。このあとご自身も剣スコを手に取って、溝の泥をさらっていました。
左から、尚美さん、佐々木成子さん、武山里美さん、武山悦子さん。カレーやおむすび、豚汁など、力仕事にしっかりとりかかれる、美味しいお昼ご飯をつくってくださいました。あったかい味に感謝です。


お昼ご飯をつくってくれた佐々木成子さんは50年近く前に長塩谷に嫁いできた方です。「この土地に来て一番うれしかったのは、どんな旱魃の時でも水が枯れなかったこと。水が豊富な土地なんです」。
同じく賄いを担当してくださった武山里美さん、武山悦子さんは長塩谷で生まれ、長塩谷に嫁いだ同級生同志。「この地区には貝塚があって、小学校3年生のころ、社会科見学で観察しました」とのおふたりの話から、古代から人々が住みやすい土地だった、もとの風景に思いをめぐらせます。

右から、武山正浩さん、青山嘉男さん、佐藤富士夫さん。
嘉男さん。スコップを持つと、自然と身体が動いてしまうんですね。

2日目から来てくださった、長塩谷に住んでいた武山正浩さんは、「本当に水が豊富な土地で。水があるから木も育つんです」と話すと、佐藤富士夫さんは「(長塩谷は)おらほの土地(白浜)の3倍は水があるっけ」と続けました。
富士夫さんは「(5年たって木々が10メートル近くまで成長したら、鳥たちも戻ってくるという高田の話に)いやー、感動した。鳥っこいねぐねって、それが戻ってくるようになるって話は、確かにそだなって。小動物とかもね」と、森が育ち、自然が多様に、豊かになることへの期待と、わくわくする気持ちを隠せない様子でした。

4日間、天候にも恵まれて、水路東側の土地の奥の改善作業を進めることができました。次は海寄りの土地をどのように改善していくか。プロジェクトリーダーの大渕さんと高田は、休憩時間に地形を読み解き、石垣の名残、次に大穴や池を掘る位置、水が湧いて水生植物の植生が蘇っていく場所、谷として守る場所などを確認しながら、将来の風景に思いを馳せる時間を共有しました。

濃密な4日間、ハードな作業にもかかわらず、次回も必ず参加をしたい、とスタッフや関係者の方々の声が届きました。
尚美さん、昭利さんはじめ、地元の方々が、住まうことが叶わなくなったのに長塩谷やそれぞれの浜に持っている強い思いが、いつまでも心に残っているのです。


生命の安心を感じる場所、帰りたくなる場所、魂が求める場所こそがふるさとだと人間は本能で知っているんだよ。
ここ長塩谷はじめ、十三浜の杜づくりを支えてくださった地元のみなさんから、私たちは逆に大きなことを教わったような気がします。

3日目、9月26日のワークショップご参加のみなさまとスタッフで。のべ200名近くの関係者、参加者のみなさまとともに、次世代に残す杜づくりの第1回を無事に終えることができました。




私たちの魂の奥底で持っている「ふるさとに帰る」という思いを取り戻せるように。
その思いを次の世代も持てるように。
尚美さんが抱いた「なんとなく気持ちいいよね」という
身体と心がほっとする感覚が湧き上がる自然が育つように。
ウィーアーワン北上さまの石巻・北上町十三浜の杜づくりに、地球守は伴走して参ります。
今後も、わたしたちの発信にご注目いただき、応援をいただければ幸いです。


地球守理事・事務局 小川彩