「現代土木の副作用」シリーズは、合計4話を予定しております。
第一話では、沖積平野、特に低地における浸水について、その地形的な要因と、そうした土地を安全で住みよい環境へと育んできた先人の智慧と視点について、すこしばかりお話しいたしました。
水害土砂災害の多発や広域化を招くものは何か、今改めて問い直すこともまた必要です。
今回第二話では、災害対策においてほとんど問題視されることのない、本質的な原因について考えていきたいと思います。
想定外の浸水多発の現状から見えてくるもの
令和元年台風21号に伴う豪雨は、ハザードマップの浸水想定域に関係なく、多くの個所で冠水被害をもたらしました。
この写真は、千葉市内の丘陵地域に造成された工業団地における道路の冠水の様子です。
この地点の標高は海抜60m以上の丘陵地域であるのに関わらず、ハザードマップで想定しえない、高台においても今回、冠水被害が多発したのです。
何が原因なのか、豪雨時の被災現場にいれば、それはすぐに気がつきます。
ここでの道路冠水は、建設工事現場からの濁流の流出によるものでした。
隣接する数ヘクタールの敷地で工場の建設がはじまり、それに伴う、土地の浸透機能の喪失、泥水の流亡、排水溝の目詰まりと許容排水量の超過、そして周辺の冠水に至りました。
現代の開発行為に伴って生じる土中環境の荒廃は、見えない部分で周辺環境の急変をもたらします。
こうした、見えにくい部分に視点を向けて、自然環境が変化してゆくプロセスを把握し、そのうえできちんと予測していかねば、思わぬ場所での浸水や土砂崩壊等の災害が発生してしまうという現状の悪循環は変わらないでしょう。
今回、多数の個所で氾濫が生じた、二級河川村田川中流域、氾濫箇所の一つです。ここでは氾濫しても田んぼが遊水地となり、その土中は巨大な貯水槽となります。
本来、沖積低地は豪雨時の河川氾濫を前提に、田んぼによる主食穀物生産と生活域の安全を守る遊水地としての利用を共存させてきた長い歴史があります。
これこそが自然と共存の中で生み出した生活文化であり、それが豊かで安全な風土環境として、つい最近まではその営みが当然のごとく認識され尊重されてきました。
それにしても、この地域でこれほどの冠水は地元古老の記憶にもないのです。
何が原因で、こうした想定以上の冠水が多発したのか、きちんと見てゆく必要があります。
流域環境の荒廃が招く、水害土砂災害
こちらは、二級河川村田川沿いの丘陵部斜面崩壊個所の様子です。今回の豪雨で、この丘陵部だけで約6か所の崩壊が発生しました。
村田川は写真奥、丘陵のキワを流れますが、その丘陵上部に大規模な地形改変と土砂掘削残土搬入が行われ始めたのは数年前のことでした。それからの丘陵部分の植生は年々荒廃し、そして昨年、上部でのメガソーラー発電所の建設が、残存林の環境を決定的に荒廃させていったのでした。木々は次々に折れて植生は荒れ、美しかった雑木林はみるみるうちに荒れた竹藪となっていきました。その間、わずか数年のことです。
そして今回、この写真の有料道路高架上で、なんと1m近くの冠水に見舞われました。これもメガソーラー開発地や、それが引き金となって荒廃した周辺の藪から流れ込む膨大な泥水が、高架上の排水設備を目詰まりさせて溢れたのでした。
丘陵上部のメガソーラー開発による土中環境への悪影響は、その場所にとどまらず、周辺の残存山林をも広範囲に荒廃させていきます。
そして今回、荒廃して竹藪と化した河川沿いの山林はあちこちで崩壊していきました。
崩壊箇所の多くはすでに深い根を必要とする高木樹種が枯損して、不健康な藪(ヤブ)になってしまった箇所がほとんどです。
さらに、林床(森林の地表)土壌を見てゆくと、極端に貯水力を減じていることが分かります。そうなると、植生は単純化し、深い根を必要としない竹やつる植物、荒れ地の雑草などが不健全に密集するいわば「ヤブ」となります。
美しかった雑木林が荒廃してヤブとなるのに要した期間は、わずか数年のことなのです。多種共存する森の環境が保たれてさえいれば、こうした表層崩壊はほぼ、起こりえないことでした。このことは、同等の地形条件で崩壊した箇所とそうでない箇所との周辺環境を比較すれば、容易に読み取れることなのです。
氾濫箇所の翌日の様子です。川筋は増水しているとはいえ、水位はかなり下がっています。
降雨前後の水位の急激な変化もまた、流域山林の荒廃具合を如実に表します。
今、全国で急速に進行する里山や奥山の荒廃、それに伴う河川や流域の貯水浸透機能の喪失が、豪雨や台風に伴う自然災害の広域化大型化を招いている事実に向き合う必要があります。
今、社会の防災減災論議において、この自然環境の荒廃については、ひたすら気候変動の問題へと終始している風潮があります。
気候変動に伴う台風上陸の頻発やパターンの変化は確かに事実です。しかし、規模という意味では、過去の巨大台風に比べて決して突出した台風が襲っているということではないのです。
昭和においてだけでも、伊勢湾台風(上陸時930hPa)や第二室戸台風(上陸時918hPa)、平成においても平成5年台風13号(上陸時930hPa)など、今回の台風とは比較にならない規模の巨大台風もまた、記憶に残るだけでも再三日本を襲っております。
こうしたことからも、気圧測定記録のなかった過去においても同様に、今回の台風規模を大きく上回る台風は定期的に日本列島を襲ってきたと考えるのが自然のことでしょう。
想像もできない規模の洪水や土砂災害が毎年多発する現在、台風や豪雨においても「観測史上最高」を常に更新しているように発表されますが、今と以前とのデータの取り方すら一律ではないのに、局所的な時間雨量の差異など、「観測史上最大」などと言えるはずなど、本来ありえないのです。
それにもかかわらず、あたかも台風や豪雨の規模が「想定外の事態だった」ということに収束させてしまっているのが現状です。
なにが国土環境を弱めてしまい、災害を大きなものにしているか、これまで見逃されてきた視点から、見直さないといけません。そうでなければ、安全も安心も、そして美しく穏やかな風土環境も、未来永劫にますます遠ざかってしまうことでしょう。
現代土木と環境の荒廃
ここは千葉県長南町、県中央部を縦断する新設道路「長生グリーンライン」の建設現場です。豪雨の日、私は朝8時半にここでの浸水の様子を観察しておりました。
降雨後間もない時間帯から膨大な泥水が道路建設現場から滝のように流れ込み、その周辺一帯から生活道路の冠水が始まります。
今回千葉県内で多発した、局所的な浸水は、こうした、山地開発に伴う人為的な原因が非常に目立ちます。
こうした道路開発一つにしても、自然地形を尊重しながら、山を迂回し谷をつぶさず、きめ細かな配慮をもって道を通してかつてとは違い、現代の土木造作においてはますます環境に甚大な影響をもたらしていることが、こうした豪雨時の観察から見えてきます。
今、山間部に道路を通す際、車両の通行性ばかりを重視してカーブを少なく滑らかにするため、山も谷も避けることなく地形を無視して通していきます。
そのため、場所によっては大きな切土斜面が生じ、そこはまた、小段によって排水を取り、「安息角度」という、緩やかな均一傾斜に整形されます。実はこれが、土中の環境を広域に痛めていき、周辺に残置された山林を含めて貯水性や浸透性を大きく損なっていきます。 (なぜそうなのかについては、次回第3話でお話ししたいと思います。)
森は土中環境が劣化するとヤブとなり、地形を保つ機能や貯水機能をも、大きく減じていきます。大規模に自然地形を壊してしまう現代土木の手法で道路一本を通すことによって周辺の山林は広範囲に荒廃、劣化し、災害の起こりやすい環境へと変貌してしまうのです。
こうした周辺広範囲における山林・大地の甚大な劣化が、現代の土木建設によって招かれ続けています。土木建設の在り方の問題は、これも、第二東名高速道路沿いの広範囲の環境悪化や、南アルプス南部など建設中のリニア中央新幹線トンネル掘削ライン上部における、山岳地域の凄まじい崩壊を見れば、誰にでも明らかに分かることでしょう。そうしたことは局所的な問題ではなく、私たちの生活基盤である平地の安全をも急速に奪っていることに気づく必要があるでしょう。
なぜ目を塞ぐのか、なぜすべてを気候変動のせいにして丸く収めようとするのか、私たちは今、大きな覚悟をもって方向修正しないといけないように思います。
今後ますます、地方は荒廃し、美しかった田舎ももはや、多くが住める環境ではなくなってしまうことでしょう。荒廃して、いのちの豊かさの生まれない田舎など、何の魅力もなく、打ち捨てられてゆくことでしょう。
田舎でなく都会に住めば良い、という風潮も耳にしますが、そもそも、私たち人間の生存の源は、本来自然の循環からの収穫であって、安全も人の健康も健康な自然環境なしでは決して持続するものではない、ということを忘れてはなりません。
今後、災害等何かが起きて文明の機能が停止した際、収穫の得られない都会でいったいどうやって人が生きていけるというのでしょうか。
豊かな自然環境があれば、草木や果実どんぐりなど、何かしら食べるものがあり、そして山が健康であれば清冽な水も得られます。
本来、大切に守るべきは豊かな自然環境であって、そのことを忘れてしまえばもはや、気候変動の深刻化するこれからの時代、さらなる大きな混乱につながることでしょう。
こちらは先の写真の現場、 千葉県長生郡長南町を縦断する建設中の幹線道路上空からの様子です。完全に、地形を無視して通していることが分かるでしょう。
新設道路は、いくつもの谷を埋めて尾根を削り、車の通行性の都合だけで道がつけられていることが分かります。こうしたことは第二東名高速道路や圏央道など、新たな道路建設において今や当たり前となってしまいました。
近年の災害多発や国土全体の脆弱化はこうした土木の在り方が自然環境に対して過去と比較にならないほどに暴力的なものになってしまったことに伴って深刻化していった側面が必ずあることでしょう。
これが、周辺の山林を分断し、そして流域広範囲の環境をとどまることなく崩壊させ、山林の大切な機能である、貯水性、洪水調整機能、地形安定機能、水源涵養機能をも、短期間に奪い去っていきます。
この地に住み続けることの魅力も自然の豊かな恵みも、こうした今の暴力的な開発行為がすべてを奪い去っていきます。
「地方創生」と言いましたが、文化の営みや自然環境の尊重を失った文明にどんな未来や豊かさの永続があるというのでしょうか。
そして、写真中央、幹線道路のラインの下の広大な開発地は、山林上部を削り、無数の尾根を埋めて大規模に造成されて建設が進められている、長南町、坂本のメガソーラーです。 20ヘクタールの膨大な面積の山林や地形がこうして一時の都合で削り取られます。
削り取られた山はもはや、千年たっても元の豊かさは回復することはありません。 こうして私たちは国土の豊かさを未来永劫に奪いながら、一時の文明を継続しているということに早く気づく必要があるでしょう。
環境の問題は、二酸化炭素排出の問題にばかり置き換えられますが、いのちの母体である自然環境の現実を見なければ、大切なところで判断を誤ることでしょう。
環境の尊重、先人が暮らしてきた源の環境や文化的な営み、これを今、あまりに無視しすぎた結果、国土環境の未曽有の荒廃が、それこそ土中の見えないところで深刻化しています。
そして、水害土砂災害を通して、自然は幾度も私たちに方向転換の機会を示してくれているというのに、現代社会はいつからそれを感じる感性を失ってしまったのでしょう。
いつからここまで傲慢に、いのちの母体たる存在を平気で踏みにじって顧みなくなってしまったのでしょう。
自然災害をかつては天災と言い、それを天の意思として、人の在り方、土地への向き合い方を反省する機会ととらえてきた、かつての素晴らしい日本人の姿勢を今こそ思い出す必要があるように思います。